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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2017年02月04日

いろ鳥どり 


ペーパークラフトで文鳥を作った。

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手乗り文鳥
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出来上がって手に乗せてみると、白文鳥のチビと再会したような気持ちになって、この大きさというか、小ささ、掌をちょっと握ったなかに収まるこの感じだったなあと懐かしくうれしかった。


鳩のおなじみさんが今年も顔を出してくれることだし、ペーパークラフトで作りたいと探したが、これがない。
鳥類はいろいろでてくるものの、鳩となるとあまりにもありふれた存在すぎるのだろうか。


ペンギンはいくつも作ってある。
代表してキング・ペンギン

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鳥のペーパー・クラフトを探していたら、文鳥が見つかったというわけ。

おや、もう一羽できた。桜文鳥登場。

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文鳥は 丸文堂さん
http://blog.livedoor.jp/marubundo/archives/555028.html

キングペンギンは 長崎ペンギン水族館
http://penguin-aqua.jp/archives/category/download/papercraft

毎年恒例の干支は キャノン・クリエイティブ・パーク
http://cp.c-ij.com/jp/categories/CAT-ST01-0072/index.html

で頂いている。


なに見てるの?
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干支のキンタロー飴〜

とりづくし




posted by そら猫@あやまろ工房 at 06:22| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 花鳥風月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

春遠からじ

寒い。
でも雪は降らない。
ぼーっと降る雪積もる雪をながめたいのだが。
いつでも籠城できるように食糧は蓄えてある。

とかくひとはないものねだりをする。
豪雪地に住んでいたらこんなのんきなことは言わない。雪で人は死ぬ。


寒いね。
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バケツの底に冬眠中の“ベランダめだか越冬隊白バケツ班”の姿が見えた。
底に堆積した水藻にもぐっている。
ふわふわベッドだからお腹に傷のつくこともないだろう。


11月ころに生まれた稚魚で、ベランダの水槽にいた子達を室内水槽に避難させた。
大人たちは水底に潜っているが、脇のプラスチックケースに隔離したのち成長がはかどらなかった稚魚は、深く潜れず、冷たい水面近くにいることとなる。
ずっと水草に姿を隠していたのが、珍しく水面近くをけなげに漂っているのを見たら、寒かろうにと室内にいれた。

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頭部のふっくらしたところが2.5mmぐらい。2尾いる。

こちらは室内水槽生まれの子。
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ベランダ育ちよりちょっと色白だ。
頭部からのふっくらが4oぐらい。おなじころ生まれた仲間がほかに3尾いたのだが、残ったのはこの子だけ。
室内だから無事生きながらえられるというわけではない。

外の方が太陽光を浴び、風に吹かれて健康にめだか生活を送れるのじゃないか、と私が思っているにすぎない。
けれど、今年は寒い。人間の判断だから迷惑なだけかもしれないが、この時期に外から室内にいれたのは初めてだ。



暦をみると、いまは“水沢腹堅 すいたくふっけん ━ さわみずこおりつめる”の季節とある。
それに続いて“鶏始乳 にわとりはじめてにゅうす ━ 鶏が卵を産み始める”とある。
まだ大寒の末だけどこれをすぎると立春だよ。春の芽生えはもうすぐだよ、と暦は語る。


ああ、なるほどー と思い当たった。
おととい、おなじみきりちゃんと源次郎クンが来て

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クックルー クックルーと鳴きながらお互いその場でくるくる回ったり絡んだりしていたので、エッ恋の季節?早くない?とポカンとしたのだが、季節のうつろいをかれらは敏感に察知し、暦はしっかり予告していたわけだ。

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おぉ、きりちゃん積極的。灰色の背中に黒ライン2本おでこの白差し毛は源次郎、なされるがまま😃
観察の結果、この夫婦はかかあ天下である。

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この子は動きになんか愛嬌があってね 



そういえば季節の猫の恋歌がきこえてこない。近頃はめっきり外で猫をみていないことに気づく。
みな家のなかで大切にされているのだろうか。


恋猫の恋する猫で押し通す    永田耕衣





posted by そら猫@あやまろ工房 at 18:48| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 花鳥風月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

近い声 遠い声


年始の顔見せに来たきりちゃん(左)と源次郎くん(右)

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野生鳩の寿命は3〜5年だという
お互いいけるとこまでいこうな、と心の中で呼びかける
が、人はしんみりしても鳩はどこ吹く風 
そういうあなたたちがすきなのよ


かれらにも元日させん鳩すゞめ   一茶



というわけで、禁断としていたがパンのかけらをちょっと置いてみた。
かれらはいつものようにめだか水槽の水だけ飲んで、あたりをながめ回した後飛び去った。パンはそのまま残って固くなっていた。
なんだか二羽共に躾のしっかりした良家出身のお行儀の良い鳩に思えてくるから可笑しい。


※ ※

今は昔、友人の弟が京都の大学へ行って京都暮らしで覚えたことの一つが、寝る前に鍋に昆布と水を入れて夜のうちにだしをとっておき、朝はそれで味噌汁を作ること、といっていた。

生まれ育った土地の食文化の違いで、それをきいたとき、なんとなく優雅に感じた。
ウチの田舎ではお椀の底から煮干の目がこちらを見ていた。

そういえば鰹節をごりごり削っていて指も削った。
本体が大きいうちはシュッシュッと心地よい音をたててきれいな削り片が出来ていくのが楽しいのだけれど、小さくなってくると用心していても何度も指からポロッと外れるしサクッといったのは指先であった、とか楽しいのと怖いのと一緒くたのお手伝いだった。


わざわざだしをとるのは面倒だと、手軽で便利このうえないし、無添加食塩抜きをせめてものこだわりとして顆粒だしを使ってきた。

出し昆布で佃煮を作ろう!という記事に目を留め、このごろのお気に入りの“わさびこんぶ”を作ってみよう🎶 と思い立ち、ちょうど使いやすそうな刻み昆布が手に入ったので、まずだし汁をとった。

これで味噌汁を作ると、ああ、やっぱりおいしいね。まろやかで。
100円ショップで、ずっと探していた小さな味噌漉し網を見つけたので味噌を溶くのが楽になり、インスタント味噌汁とはすっかり縁がなくなった。


出し殻となった昆布は冷凍しておいて、ほどほどに溜まってきたところで佃煮作りにとりかかった。

1.5mm幅の細切りが理想だが、ぬめりがあって料理バサミが滑るので思い通りにはいかない。食べられればいいんじゃない?とだんだん適当な形のが混ざってゆく。

ラジオを聞きながらストーブの前に座り込んで、広がりきった刻み昆布をひとつひとつ手にとっては、途中で飽きてため息をついたりラジオに笑ったりしながら作業をしていたら、むささびのハッチャンのことを思い出した。


※ ※ ※ ※

むささびのハッチャンは、小さな毛の玉みたいな赤ン坊のとき、春の先触れのあらしの後、橅(ぶな)の木の根元の残雪の上に落ちていたのを、辻まことに保護された。
山の宿のおばさんに引き取られ、薄めたコンデンスミルクを古い万年筆に使っていたスポイトで飲ませてもらい、一人前のムササビに育てられた。

秋の夜には、囲炉裏のそばでハッチャンは虫食いの栗の実を取り除く作業をする。掌でつかんだだけでくさった実をポイと捨てる。一つさがすと南京豆を一粒もらう。
辻まこととおばさんが議論しているうち口喧嘩みたいになってくると、ハッチャンは仕事の手を休めて、辻まことにむかって歯をむき出しおばさんに加勢する。


 夜が更けると、森からキチキチとなくムササビの声がする。するとハッチャンはまた仕事をやめて耳を澄ます。さアさア━━とおばさんが栗の実を渡す。ハッチャンはわれにかえってせっせと作業をはじめる。
『ムササビ』 辻まこと「山からの絵本」より


※ ※ ※ ※


わさびこんぶ佃煮は、てきとうに水と酒と酢でやわらかくなるまで煮てから、てきとうに醤油とみりんと砂糖をぶち込んで煮詰め、仕上げにてきとうにチューブのわさびを混ぜて完成した。
白いご飯があるとうれしくなる味になった。

正直面倒くさいが、昆布のすべてをいただきました!というちょっと満ち足りた気分になる。
これは、これからもラジオを聞きながらこんぶを切るハッチャンになってもいいと思った。




posted by そら猫@あやまろ工房 at 18:56| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

謹賀新年 2017

恒例の干支ペーパークラフトは酉


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ベランダ越冬隊



長年のずぼら手入れの思わぬ産物で、バケツの底にいろいろ堆積したものが、めだかたちのふわふわベッドになって、もぐったりすっぽりはまって寝ている。


去年は得たいの知れない天候だった。四季が崩れてきたとでもいうか。
冬の季節到来となると、めだかたちは早々に水中のどこかに隠れてしまい、姿をなかなか見せてくれなかった。

小春日和だから今日は出てくるかな、と覗きにいっても誰も出てこなくて心配になった。
寒い季節でも暖かい日には水面に浮かんで日向ぼっこをするのに、ベランダ部隊がこれだけ姿をみせないことは今までなかった。
ほんの1回か2回水面に上がってきただけだ。
えさをやると変わらず機嫌よく食べてくれたのにはホッとしたが。

晴れていても太陽の元気がなかったように思う。
ここ2・3年、ウチのめだかたちは産卵時期が少しずつ遅れ、孵化がようやく6月末くらいから、白濁してそこまでとなる数が増えた。


北海道のノシャップ岬方面ではぶりが大漁で、鮭がめっきり減ったという。
現地に取材に行ったジャーナリストが驚いて、出演した番組でそういっていたと、北海道出身の知人に話したら「ぶり?!」とすぐには本気にしなかった。

おーい、むこうへまだ行けるぞー
と、ぶり軍団が北上していったらしい。
しかしぶりの性質は臆病で驚くと、群れごと深みに逃げ込むというのだ。
冒険者たちが北へむかったんだね。

あちらこちらで変化がゆっくりすすんでいるのだろう。

**********

パソコン脇にメモがぐしゃぐしゃ重ねてある。整理しなくちゃね、と手に取るといつ書いたか覚えがないこんな一文が書いてあった。

なんだかよくわからないけれど 人は生きてゆく


年立やもとの愚がまた愚にかへる   一茶


***********************

初詣は白猫神社へ
http://studioayamaro.web.fc2.com/page9.html

小吉がでた。ぼちぼちいきましょう。








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2016年12月26日

神に願いを♪♪かけまして 真田丸完走

だって、去年の今頃は検査の数値を前に、医者から「こんな状態で病院の中を歩いているのはあなたぐらいだ」と言われたんだから。
自宅安静申し渡され、暮れも押し詰まってMRIに潜ったりもした。日韓合意のニュースが待合室のTVに流れ「国辱である!」と頭から火を吹いてワナワナ震えてから一年たつ。
世界情勢の変わりように目を丸くしている。

健康でも一寸先は闇はおなじだが、四肢不具合あり心臓あたりに難あり状態で横になっていると、明日の命はないものを、これにて終 がすり寄ってきたような感じがして、もう覚悟しとかないといけないのかなぁとぼんやり考えていた。



その時、でもさ神様、来年「真田丸」ってドラマあるのよ、ほぼ一年50回なんだけど、堺雅人さんがでるのよ、せめてそれ全部見届けるまで猶予してもらえませんでしょうか、と心の中でお願いしたのだ。



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10月になり幸村様が登場したら心がふるえて
6年間変えなかったPCの壁紙がこうなった



三谷幸喜劇場 真田丸 と呼んでいた

魔法の言葉「三谷劇場」
これでなんでも冒険できるものだねぇと、今は妙に感心している。
なにはともあれ三谷幸喜脚本であって、それがゆえに一本筋は通っていた。
好みではないけど。

舞台劇的で台詞での状況説明が多い、それが苦手で。
成り行きをご説明します的な言葉の多用は映像の作品ではやって欲しくない派だ。
彼の使う言葉の感覚が合わない。理が先立った翻訳調めいていて滑らかでないのがどうも。
関節はずしのような笑い要素も、時としては、ここではやってくれるなと思うことしばしば。
優良部品は揃っているけれど、接合が上手くいかないという感じがあってスッキリ出来ず、毎回なにかどこか引っ掛かっていた。

とかいっているが、要は
お皿にのって出てきた料理の塩梅加減が口に合うかどうかということなのだ。
だけど今回は食材が戦国時代だって。斬った張ったで人が死ぬの苦手なのよ。困ったなあ。


それでも観たのかって?
観ましたよ、堺雅人さん観たかったんだもん! 源次郎さま追っかけたの!
あ、これはまるできりちゃんではないか。


大河ドラマという長丁場の作品は、こういうふうなものだったっけかなぁ、一年毎週みるのも大変だなぁ、としみじみ思った。
作る側はもっと大変だろうけどそれは仕事だから。
で、見るほうは容赦なく切り捨てるから。あるときは正確に、あるときはトンチンカンに。


50回もあるとツッコミどころ満載すぎて、なにがなんだったか忘れたが、まあ一つ。

青葉台駅から田園都市線に乗って渋谷のオフィスに出るような感じで信州佐久と浜松を何遍も往来させてくれるな。(室賀、徳川に取り込まれるの件)
佐久くんだりから浜松へ出るのは大変だぞぉ。そんなに簡単に談判にいける距離じゃないんだぞぉ。
日本地図を引っぱり出して、天竜川下れば早いのか? いやいや、こんなに遠いじゃないか、てなことをやっていた。

地理空間的なことで、あれ??というつまずきが多かったのは、自分が海津城址が小学校遠足コースだった、お膝元に近い地の出身のせいだろう。

おお、源次郎、景勝様のところから上田へ戻るか、じゃあ千曲川沿いにルート18号を馬で飛ばせるな。
などと、いたってローカルな感情移入をするのである。

コーエー協力の地図を見て、それにしても長野県てホント山の中なんだねと今さらながらびっくりした。

京大坂だって、遠いよ。話の展開先行でそんなにたやすく移動させなさんな、新幹線も走っていない時代だよ。
移動に苦労するという現実感が、見事になかった。この脚本ならちょっといじるだけで舞台劇として上演できるのではないか。


そんなこと? ではない。ディテールにこだわってこそ全体の結構が映えるというものだ。

それにしても美術班、セット・小道具のこだわり、再現には舌を巻いた。細部の説明を公式ページで見るのが面白かった。
昌幸の部屋にあった本が「孟子」と「伊勢物語」あのおやじそんなの読むのかい😖
源次郎は九度山で植物の試験栽培中、薬研をごりごりしていた設定(なんかとってもよく分かる😃)
極めつきが、真田丸よ! 

“丸っと360°!!”のページはわがPCの真田丸ホルダーに入れさせていただきました 御礼
凄い仕事するなあ。こまごまともっと見たくなる。真田丸の美術とか、本になればいいのに。





なにより、ここまで生きててよかったと思うぐらいの名場面が拝めて嬉しいよ 

「源次郎様のいない世に生きていてもつまらないですから
・・・
「ちょっと なにするんですかッ
・・・
「遅い
「すまぬ
「せめて10年前に
・・・
あのころがわたし一番きれいだったんですから


ここ、ね。

源次郎クンときりちゃんの掛け合いを、
「(櫛の)箱は?
「ないッ
から、この二人おもしろいねぇと楽しく見守ってきたものとして、今生の別れというこのとき、ああようやくにしてと感極まった。きりちゃんよかったなあ、でも切ないねぇ。この鈍感源次郎めそれにしても、男前に育って。

喋りながらのキス。最高じゃないか。
泣き笑いさ。何べん観ても、泣いて笑って泣く。


映画だドラマだ舞台だと、そんなに沢山みてきたわけでもないが、今まで出会った中で一番のキスシーンだ。


後日明かされたのは、このシーン、堺雅人さんと長澤まさみさん二人の俳優が、台本になかったのを
ここでは二人の気持ちをより表わし伝えるためここでキスをすることにしたいが
それなら喋りながらというのはどうか 前からやってみたかった
いいねぇ
そうやって作り上げたということだ。
素晴らしい。
お二人に大いなる拍手。拍手。拍手。拍手。



真田源次郎幸村の最期の目を閉じた微笑みは、光の中に溶け込んでいって、哀切このうえないがふるえるほどに美しく清々しい。 
むかし男ありけり かく生きたりと後の世に伝えよかし

源次郎よくぞ戦った 見届けたよ と呆然としながら涙、画面がよくみえない。
神社に落ち延びた主従の姿に哀れ、と涙が滲みはじめていてここで頂点に達した。

堺雅人は喜怒哀楽すべてを笑顔で表現できる役者、と言われている。すばらしいです。


このシーンが思い出されては一晩転々として眠りが途切れ、睡眠不足か翌日は体調が大崩れして、寝込んだ。蒙朧としながら正直ここで年貢の納め時かと思った。
冒頭のような経緯もあって、これじゃまるで殉死だなぁと弱気になったが、ちょっと待ていくらなんでもシャレにならぬよと踏ん張った。ただひたすら寝ていただけです。
そうだ、私は六文銭を持っていません。三途の川は渡してもらえないのですよね。というわけでまだこっちの岸にいられるかな。。。


この場面について後日談で知ったこと。

幸村があそこで死を選んだのは美学のゆえではなく、戦況を慮って敵をくらまし味方の不利を招かない為の策として考えたことであるという。
それは 死せる孔明 生ける仲達を走らす そのもの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161220-00000066-spnannex-ent

『ここまでのようだな』というのは決して美学として言っているわけではない
どうやらここがギリギリだから、ここまで来たら佐助に首を取って逃げてもらった方が作戦上よろしかろうという非常に現実的な選択だ


こういう考え方もあるのか、と目が覚める思いだったが、そこでふと先の大戦の硫黄島の戦いのことを思った。硫黄島の戦いについては青山繁晴氏の「ぼくらの祖国」に依ってさまざまな考えをめぐらしている。
ちなみに指揮をとった栗林中将は旧信州松代藩の出身だ。

日本人はとかく最後は情に流れるのに、この幸村の死の選択は美学からではないという。
情緒に流れていない。
最期まで知に立ってあくまで思考停止はない、この乾いた発想。

それでいて場面には余韻嫋々とした趣が漂う。日本の歴史物語なんだなぁ


信繁の最期
脚本 (空を見上げる)
演出  自分がやるべき仕事は全部やったんだと、
    この世にあまり思いを引きずらず、安らかな顔で終わりたい
俳優  「目の男」として見続けてきた男の最後くらいは
    目を閉じさせてもいいんじゃないか

鮮やかなコラボレーションだね。
堺さんは最初から、信繁は、見る、目の男であると言っていたから、その人が目を閉じたときは死を意味する。

見事に完結した。
信繁、おつかれさま



****************
愛でてやまないシーンいっぱいありますよぉ

「どこから見ても得体の知れない爺だわ
「(ニコニコ)
・・・「油断しゃしぇるのだ



真田丸の攻防に勝利。
猛将幸村公、チョイチョイと木村重成を招きよせてなにを言うかと思ったら
目をパチクリさせながら
「心の臓が口から出そうだったわ
こう聞かされて重成ポカンとし、促されるとニッコリして城へ走る。
源次郎幸村の緊張解けやらぬ放心顔と重成のニッコリ具合と、間合いがよくてねぇ。


などなど などなど ホルダーにいっぱい



キネマ旬報 2008 11/下 に『実存演者・堺雅人』という表現があって、なにやら難しい言葉を編集者はどういう意味で使っているのだ?とクビをひねったが、今回いろんなインタビューが出て、あー、とちょっとわかった気する。

幸村が使う十文字槍って重いんですよ なんか腹が立ってね
こんな重い槍を持っているのだから使いこなす理由がないと嫌だということが根底にあったかもしれません


たぶん十文字槍を地面に突き立てて馬上筒の支えにするというアイディアのことを言っているのだと思う。

この方は、重い!と槍に腹を立てて、ただただ振り回すのは納得せず、かといって軽いのにしてくれというのでもなく、、幸村が重い十文字槍を何故必携しているのかと思考と試行をめぐらし結果銃の支えに辿り着くのである。
そして視聴する者は出来上がったその場面を見て喝采を送るというわけ。
こういうのは、創造の妙だね。



📖 📖 📖


さて、お礼が遅くなってしまいました。神様。
なんやかんやムニムニいいながら生き延びられました。
ありがとうございました。

「文・堺雅人」3 もう少ししたらまとめられるんじゃないかなぁ、それ手に取りたいなぁ📖
鳩の源次郎くんときりちゃんの水場を確保しておいてあげたいですし
いや、神様におまかせいたします

二礼ニ拍一礼





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さニャだ幸村クン現在行方知れず
さてはうちの真田も薩摩に落ちたか






posted by そら猫@あやまろ工房 at 01:08| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

いつのまにかアントラーズ Jリーグチャンピオン!

先週鹿嶋でのゲームを久々にラジオで聞いていたら、鹿島ホームで負けて、一時監督選手でゴタゴタがあってうまく立ち直れなかったかと思い、早あきらめモードに入って、浦和でもう一戦あるというのを忘れていた。
ぼんやりとしたかつてのファンである。

昨夜は早くに横になって、眠れない。。。と10時ころ起きてPCをのぞいたら
鹿島チャンピオンシップを制して優勝、ってなっていてびっくりした。

アウェイ・ゴールとられてたのにひっくり返して、アラアラ。
さすが、鹿島アントラーズ  
しかも石井正忠監督アントラーズを率いてタイトルを取る。
へぼでもなんでもブラジル人監督頼みの運営にうんざりして、そーっと遠ざかったもので、選手コーチとして携わってきた日本人監督で、ああついにという感慨もある。

大岩、柳沢がコーチになったという世代交代は知っていたが、さっき公式ページ見たら羽田憲司クンもコーチに加わっていてうれしくなった。

羽田クンは市立船橋から入団して期待の才能だったが怪我に悩まされてしまった。
いまはなき国立霞ヶ丘競技場に観戦にいったとき、ゴール前の混戦で羽田クンが地面にたたきつけられて、担架で運び出されるのをまのあたりにした。腰骨骨折の大怪我だったかと記憶する。
得体の知れない足の故障の治療にも難儀して、選手として存分に力を発揮できたとは言い難い。
けれど指導者としてサッカーに関わり続け、しかも鹿島に帰ってきたというのは、遠くから応援していたものとしてうれしい。

アントラーズは所属した選手を大切にする。

J1チャンピオンシップは赤い2チームで争ったが、もう一つの赤いチームがJ2行きになった。
グランパスくん。。。

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ふて寝してるよ。
付き合い長いから黒い背中が色褪せちゃっている。。。
ちなみに手前のペンギンたちは名古屋港水族館出身。ぬいぐるみなのに識別バンドをつけているのはさすがにこの水族館出身者ぐらいだろう。

グランパスは、ねぇ、どうして指導者の修業もしていなかった小倉にGM兼監督をやらせたのか。
フロントが何考えたんだか。傍観者としても言葉がみつかりません。


年間勝ち点でチャンピオンを決めるんじゃなくて、面倒くさい仕組みになっていて批難も出ているが、小笠原の言うとおり「ルールはルール」
ということだ。
ここぞで勝っちゃうアントラーズが見事なのだ。

一番多く勝ったら一等賞でいいのに、なに面倒なこと考え出したものやら。簡単にすればよいだけなのに。プロ野球もなんだかわからんなぁ。なんかその、利権とかなんとか思惑が蠢くのかねぇ。
もともと、サッカーなんてボールをあのネットの中に放り込んだら一点! 味方でも敵でも誰でもかまいません! という単純なもんじゃないか。



ですから今年はアントラーズ Antlers(鹿の角)
antler.bmp

兜、角のバランスを取るのが難しいそうで
平成の幸村様は疲れると角をスポッとはずして両手に持って休憩されていたそうです 






posted by そら猫@あやまろ工房 at 11:12| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

今年はレコードの登場が多い 哀惜 レナード・コーエン

レナード・コーエン逝く 享年82

訃報を知って“レコード”を引っぱり出して針を置く。
VARIOUS POSITIONS (1985)

いつのことだったか、TVをつけたままでうたた寝をしていたら、聞こえてきたのが DANCE ME TO THE END OF LOVE のリフレインで、目を覚まして画面を見た。

北鎌倉の鈴木大拙の墓前でレナード・コーエンが、案内か通訳か知らないが若くて小柄な女性と一緒に手を合わせて神妙にお参りしていた。

お参りが済むと二人はスキップをして帰っていった。
その後姿で、このひとのレコードを買おう、と決めてお店に行ったのだった。






鳩がオリーブの枝をくわえて帰ってくるのを 待とう
ともあれ 
踊り続けよう 最期の日まで





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2016年11月03日

長使英雄泪満襟


『真田丸』 源次郎くんが源次郎さんになって、いまは幸村様である。(私的呼び方)
本人が名乗った証拠はないとかいわれたって、400年の時のなかで慕われ続けた名前をそうやすやすと素通りはできませんわね。


九度山を出て大坂城に戻った左衛門佐幸村様の、際立つ切れ者の風貌。

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これは どこかで おめもじ していたような 既視感 デジャ・ヴ déjà vu
この額の感じ、そこはかとなく似ている。
髭の形は違うのになんというか、似ている。

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川本喜八郎作 諸葛亮孔明

諸葛亮が大坂城にいるぅ。

いやいやこれは報われない幸村様。
豊臣?どうでもいいわ。城が堀を埋められたらおしまいなんて、戦オンチ素人な私でもわかるもん。
そこへ一直線だよ、もう 



あくまで吉川英治版『三国志』の諸葛亮像に魅了されてのことではあるが、川本版諸葛亮は最高の具現体であり続けている。


TVドラマ、映画と『三国志』をみるお目当ては諸葛亮品定めだ。
この役者じゃぁねぇ・・・と、平気でスイッチ切るから。
当然ながら第一に頭が良さそうにみえなければいけないよね。

TVドラマで、湖北電視台『三国志 諸葛孔明』(1985年)の、李法曽さんはよかった。
ドラマそのものも変にスケールを大きくしたりせず、諸葛亮に焦点をしぼったいい人間ドラマだった。

後年の作り話といわれる“空城の計”を取り入れて、魏の司馬懿軍を前に楼上で弾琴する丞相を従者が背後からうかがうと、着衣の背が汗でぐっしょり濡れていた、とか、軍律を破って投獄されていた馬謖が“馬踏飛燕”像を彫っていて、なにしろ「泣いて馬謖を斬る」だから処刑前に会いに来た丞相に、「ご子息様のために作っていましたが間に合いました」といって差し出すとか、けっこう泣きのツボをつかれた。


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馬踏飛燕 漢代(甘粛省博物館)  速きこと飛ぶ燕を踏むほどの馬




その昔、成都の武侯祠詣でをした。 

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静遠堂の諸葛亮像


チャイナと日本じゃ感性が違うので、扶桑の国で勝手にイメージを膨らませるのもほどほどにしないと、とは承知の上だが、やっぱり本場へ行ったのは感慨深かった。

空を見上げれば全天曇り、高く遠いところに見えるほのかに明るい小さな円は雲のむこうの太陽。
蜀犬日に咆ゆ━━蜀は日が差す事が少ないゆえ、たまに日が差すと太陽に向かって犬が吠える━━ を実感した。



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売店で買った孔明像二体


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きりちゃんに“得体のしれないじじい”といわれそうですね 😃




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丞相祠堂何処尋
錦官城外柏森森




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成都だから杜甫草堂も行ったが、売店で詩のしおりを買おうとしたら、値札と言い値が違うから注意したらクシャッと値札を丸めるとガンガンと口撃してきたな、店員。
引いてたまるかと言い返してやりあったが、悔しいことにしおりは欲しかったので途中で折れたのが今でも癪に障る。

その旅は初上陸地の上海で『三国志 連環画』全巻を手に入れていた。
上海から桂林は清潔な4人用コンパートメントを独占して快適な鉄道の旅だった。下段のベッドから落っこちたけれど。
客が少なくてのんびりしていたのもあって服務員と筆談で親しくなった。
上海で買ったと得々として『三国志 連環画』をみせると、きょとんとして、中国が、三つに分かれて、と指を三本出し、喧嘩したんだ、と両手の指でチャンバラしてみせた。

単純にいえばそれだけのことだよなぁ、と思うと同時に、よその国が内輪で戦争していた話がおもしろいのか?と問われたような気がして、のんきな野次馬という立場を思い知らされ、ちょっと居心地の悪さを感じた。


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南宋の岳飛将軍が、成都の武侯祠に詣でて感激し、『出師の表』を書写した。その書が彫られて壁に嵌めこんである。

宰相秦檜は気に食わない岳飛を冤罪で謀殺した。謀反罪ということだが、軍人の韓世忠が「岳飛の謀反の証拠があるのか」と意見をすると、秦檜は「あったかもしれない(莫須有)」と答えたという。

あったかもしれない、で有罪とは。。。
日本では、平清盛が文字通りの弱冠者として京の大路を歩いていたころだ。

かつてありこれからも、こんな展開が人間世界では繰り返されるのだろう。

しかし、日の本の国とチャイナとの感性の違いは重々心に留めておくべし。



定めなき浮世に候へば一日さきは知れず候    真田左衛門佐信繁

日本語の響きにほっとする。




posted by そら猫@あやまろ工房 at 18:59| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする