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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2017年03月12日

寄り道蕪村 花に真田が 参

《寄り道蕪村 つづき》

蕪村さん、安永九年(1780年)二月、今でいえば三月下旬ころになるのだろうか、高野山へ詣でた。64歳。
その帰りに麓の九度山に寄った。

 高野を下る日
かくれ住て花に真田が謡かな
玉川に高野の花や流れ去る



玉川は高野山奥の院を流れる禊の場ともなっている川。

kouya_tamagawa.jpg 広重画
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画に書いてある歌は
わすれても 汲やしつらむ 旅人の 高野の奥の 玉川の水    空海
飲むなという定めを忘れて旅人は汲んでいるのかここの水を
ここの水飲むべからずと知らせているのに なんで飲むかなぁ とおっしゃるが、なにがいけないんでございましょう。毒があるとか?でも魚は泳いでいるし水行も行うんだよね。
体長10~20cmぐらいの、背中にブチ模様のある魚がいるそうだ。

その川を花びらが流れていく。花=さくらの季節だ。
そこから五里ほど下って九度山の里。


かくれ住て花に真田が謡哉
かくれすみて はなに さなだが うたいかな


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幸村公はゴールドカードです。。。。家訓:売られた喧嘩は倍にして返すべし 
うむ、ん?...うんうん、そういうことですね 



九度山はかの真田幸村公、隠忍十四年の地。おお与謝蕪村さんは訪れていたんだ。


関が原戦で敗軍側となった昌幸・信繁(幸村)父子、蟄居━死罪の一つ手前、高野山送り、がなぜか麓の九度山の里住まいになった。

村は高野山参道入口にあるし、街道には当然参詣人の往来があったろうし、環境は人獣鳥も通わず姿も見せぬという風情ではなさそうだし、近くの川で魚を釣っていたというエピソードもあるし、地図をみればこれは魚釣りに行きますわ。地元の神社から祭礼に招かれたり。地元に馴染んでいらっしゃったようだ。徳川方浅野家の見張りもいたということだが、切迫してるのかのんびりしているのか、昔の人の感覚はよう知れない。

そして、大坂の陣の真田鉄砲隊には九度山から馳せ参じた猟師たちがいて百発百中だった、などという逸話が残るのだ。風雲急を告げるとあらばいつでも戦闘応戦しますゼ・・・ゾクゾクしますわ。


秀吉はたいそう能が好きだったという。
かつて大坂勤めだった左衛門佐幸村公。牙を抜かれて鄙に押し込められたとはいえ、花にこころ動けば豊臣家臣の武士のたしなみ、謡の一つもでようもの。武士の気概衰えず。
 

ところで、蕪村はここで謡といっているが、どんな曲を思い浮かべただろうか? 

大河ドラマ「真田丸」を観てあったから、‘真田の謡’で『高砂』を連想した。ドラマでは父子二代で徳川勢挑発に使っていた。また、秀吉がお気に入りで、自身何回も舞ったという『源氏供養』を、秀次が上演してご機嫌取りをしようとする場面もあった。その回は『源氏物語 宇治十帖』が手に入ったと豊臣の女衆が喜ぶところなど「源氏物語」がらみがさりげなく出ていた。

1585年の第一次上田合戦で、敵の挑発の為に真田側が『高砂』をはやしたてたというのは、合戦から百年ほど後1680年前後に上野沼田藩の加沢平次左衛門が聞き書きをまとめた地方史「加沢記」のなかの『上田寒川合戦』に出てくる。

今はこういう記録を追って そうだったのか、と知るが、マスコミュニケーションの情報伝達は人力頼りだった昔こそ、強力濃密な口コミ活動が展開されていたのじゃないかと思うのだ。

真田はな、こないだの戦のときなんと『高砂』うたってたで ほんで勝っちまって と口伝えで次々と世間に知れ渡っていったかもしれない。人の移動があればそこに口承の文化がついてくる。
人から人へ語り継がれていくうち伝説もつぎつぎ付け加わっていくというわけで。和泉式部も小野小町もあちこちにお墓が出来上がる。
なんと幸村公にも鹿児島のひなびた山村に苔むした小さなお墓が伝わっている。


夏の陣の後すぐ
 花のやうなる秀頼様を鬼のやうなる真田が連れて退きも退いたり加護島(鹿児島)へ
と、わらべうたが世間に流行ったという。
直後でこれだから、以後も巷間さまざまな話が語られていったことだろう。
大坂戦後六十年ほどして書かれた「難波戦記」で初めて真田幸村の名が登場してくる。本人がこの名前を使った記録はない、徳川幕府に憚っての命名かといわれるが、どこからきた?幸村公。

前出「加沢記」上田寒川合戦の中に『昌幸公を初め男藤蔵信為、舎弟隠岐守昌君』と出てくるが、この男(むすこ)藤蔵信為は、真田源次郎信繁のことと指摘したものがあって、なるほどと得心した。いかにも真田一族命運をかけた総力戦の観だ。後継の嫡男以外は表に出る名前といって固定しなかったものだろうか。昔の人はよく改名したし。今でいう個人情報なんて、なんのことだという時代世界。


しかしともかく、名前は出せないがアノ人
幸村とは民衆が公に奉った名前で、それが四百年の時を生き続けているんだと思う。


さてそれで、蕪村さんが言い出したので、勝手に空想をひろげて、なにを謡った幸村公

『高砂』は松の精の話だから花=桜の季節に、緑が強くないか? 今回、ここは桜の色彩で彩りたい。

秀吉が好きだったという『源氏供養』は? 季節設定は一応三月。
紫式部が物語のなかできちんと光源氏を供養しなかったから、仏罰が作者本人にくだって成仏できずにいるというわけで坊さんに供養を頼むという、気位高きインテリ女性紫式部に喧嘩売るのかみたいな筋立て。同時代だったら日記の中で、なんてこと書いてるのよ いとにくし、とじっとりやり込められそうだけどね。
舞とともに桐壷、箒木、空蝉、夕顔と巻名を次々ならべていかれたら、源氏マニアはうっとりしそうだが。



『鞍馬天狗』 ときは三月
 花咲かば 告げんといひし山里の 告げんといひし山里の 使は来たり馬に鞍
 
蕪村さん!これがいいよ

見る人もなき山里の桜花 よその散りなん後にこそ 咲かばさくべき
誰も目をくれようとしなかった山里の桜 さて これから咲いてやろうか 

蟄居隠棲の地に、いま、豊臣方に加勢して欲しいと秀頼からの使いが来た。 いざ大坂へ 馬に鞍おけ 

sanada_sandai.jpg真田三代記 片桐且元、幸村公の居所をお地蔵様に教えてもらう
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遮那王牛若・義経に大天狗は兵法の奥儀を伝え、平家を討ちなされ、影より御身を守る、と言い残して鞍馬の夕闇の中に消えてゆく。

桜を背景にして、戦えと鼓舞する『鞍馬天狗』

‘真田が謡’にふさわしいと思います。
幸村公の大坂入城は秋十月・・・細かいことはいいんだよ。使者は春からきていたんだヨ ケフンケフン

小狐の何にむせけむ小萩はら


この大天狗、花見の連中にぞんざいにあしらわれ疎外されたが、牛若丸だけが一緒に花を見ましょうと優しく誘ってくれた。言葉をかわすうち『か、かわいい』と恋情が湧きひとり頬を赤らめる。
この作品には男色の気配が描かれているとかの解説があるが、かわいきゃかわいいと思う、それがなにか?ことさらにいいたてるなぞ無粋。恋する大天狗のもじもじ、好もしい。

ここ日の本の国は数々の古典文学を持つ。ことに『とりかえばや物語』なんて、おおらかな日本に生まれてよかったなあー これが平安後期に書かれてるんだよと読書中何度も感嘆したものだ。


蕪村の句のなかには歴史に思いを馳せて時空を超え、連想を呼びイメージを拡げていくものがある。
正岡子規はそれを『理想的美』という言い方をした。理想的美ってなんじゃい?わからんがなと首をひねったが、今の言語感覚だと幻想的とかファンタジー世界とかになるか。


鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分哉
 十二世紀保元平治の乱のころを想定したか

伏勢(ふくせい)の錣(しころ)にとまる胡蝶哉
 戦の最中である 待ち伏せのため身を低くして潜む兵の 兜の首周りに ひらひらと無心に舞ってきた胡蝶がとまった
 
どちらも映画のワンシーンみたいだ。後者なんて、状況が違うとはいえ映画「西部戦線異常なし」のラストシーンを思い出す。



九度山真田庵には句碑が二つあるそうで
ひとつは

かくれ住んで花に真田が謡かな

もう一つは

炬燵して語れ真田の冬の陣

 こちらは正岡子規の明治27年の句 『寒山落木』巻三 この年の7月に日清戦争が勃発し、翌明治28年4月に記者として従軍した。


天明四年(1785年)版の「蕪翁句集」には“かくれ住て”とあり、読みは“かくれすみて”が流布しているが、なにか拘りがあったのだろうか。
子規が「俳人蕪村」のなかで かくれ住んで としてはいるが。句碑は濁点で子規の解釈をとったのか。

まあ、表記は別に統一されているわけではないし、古典というのは当て字もけっこう大雑把なものだし、こまかいことを言ってもつまらない。

でも
かくれすみて はなに さなだがうたいかな
こちらのほうが蕪村の言葉が持つ音らしく感じられるのだ。
声に出して読んでみて、そう思う。



花に暮れて我家遠き野道かな



<寄り道蕪村> 続く...








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2017年03月07日

寄り道蕪村 花もあられも 弐

《寄り道蕪村 つづき

あれもこれもといろいろ頼んだ“日本一おかき処 播磨屋本店”のおかきが届いた。さっそくぱりぽり ━んんおいしい━ 食べながら蕪村の俳句を味わっていくことにする。

ネット動画「nc-kyoと愉快な仲間たち」で許平和さんとKaoriさんが、おいしいーとそれはそれはいい顔をして食べていたので、さっそく初めてコースの試供品を送ってもらって、それからもう2度目の注文とあいなった。
harimaya_okaki.jpg
これが試供品やで なんで関西風に訛るかや

さて、このあいだは許さんが番組の中で言い放っていた。

 頭悪いわ 健康やわ 長生きするわ  ひととして最低やで 手に負えん

ワッハッハッ異議なーし。
人はひとつぐらい病気があったほうが案外健康に過ごせるという話の流れだった。

病気を抱えているのも鬱陶しいものではあるが、かえってさまざまな方向へ感性が開くというのもたしかにあることだ。病神に取り憑かれたらどうにもしがたいものだが、せいぜい心懸けるべきは森羅万象に向かって謙虚になることと、明るく生きましょということだ。

許さんとKaoriさんの、アホ・バカ・ボケェ、死んだらええねんこんなんーと傍若無人の罵詈雑言がたまらなく好きでね。


そういえば吉田兼好さんは、友にするに悪き者のひとつに、健康な人を挙げていたなぁ。(「徒然草」第百十七段)


花の幕兼好をのぞく女あり

 兼好さんはけっこう女人のことをああたらこうたら書いている。時に女嫌い?と思わせるほどだがそういうわけでもないらしい。
化粧ばっちり薫香漂う女人からたわむれにちょっかいかけられたことをわざわざ書き残している。(第二百三十八段)
よろめかなかったよ、と自賛の中にいれているが、なかなかに艶な目に出くわしていらっしゃる。これは、兼好法師を色仕掛けでひっかけて話のタネにでもしようかと画策したおばちゃんの差し金だった。古今おばちゃんというのはえげつないものだ。


兼好は絹もいとわじ更衣
けんこうは きぬもいとわじ ころもがえ
 あじけない堅物ではなかったのは確かだと思う


兼好さんは、八歳のとき
「仏とはどんなものですか? どうやって人は仏になるのですか? 仏を教えた最初の仏はどんな仏でしたか?」
と、お父さんに問い続けたところ

父「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ

   
子供の問いに窮まって、仏?天から降ったか地から湧いてきたか、といって笑ったお父様であるが、真理に行き着いてません?  「徒然草」最終の第二百四十三段。


歩き歩き物おもふ春のゆくへかな



*******************


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播磨屋本店さんのおまけ 大観の「翡翠」 カワセミだよ



<寄り道蕪村> 続く...





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2017年02月26日

寄り道蕪村 どこへ行く 壱

TOKYO FMがFM東京だったころ、朝の番組で詩人の清水哲男さんがパーソナリティーをしていて、ある朝蕪村の俳句を紹介したことがあった。

ばたばたと朝の支度をしながら聴いていたが、その句を聞いた瞬間に、
一本の老木と雪解けのあとの湿った黒い土、その上に散った梅の白い花びらのイメージが鮮やかに浮かんだ。土の軟らかさまで感じられた。

情景が鮮やかに立ち現われたのに、さてどんな句だったか肝心の記憶が飛んでしまった。
早速蕪村句集を買ってきて探したけれど、イメージを呼び覚ましてくれる句は見つからなかった。

あれはなんだったんだろうと、ときたま幻を思い出し、思い出すだけで日々は大量に流れた。


このごろ朝のラジオは、「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」を聴いている。
凄い勉強されていて、さまざまな方面に話題が広がってゆく。
それを飲み込みやすくおろしてくれる。が、ときに訳が分からなくなる。
そうすると鉄矢さん「オレもよくわかんねぇんだよ 呵々 」
応えてお相手の水谷加奈さんもコロコロと明るく笑う。
ふたりの、一緒に笑ったり泣いたりボケたりツッこんだりが、好きだ。

博多弁を筆頭に、おしゃべりに訛りが入ったときの鉄矢節の面白さたるや、どうやってもフランス語にきこえる一部の宮崎弁、比較級ジョン、ジョジョンは博多弁?鹿児島? お腹をよじって笑う。楽しい。

一週間分時には二週間分がまとめてYou Tubeにあがっている。各種あがっていすぎてどれが視聴済みかわからなくなってしまった。


以前蕪村の胡蝶の句が話にでた。鉄矢さんはうろ覚えで句を読んだらしく、最近リスナーから、正確にはこうですとお便りがあった。

うつつなきつまみごころの胡蝶かな

もとの句を詳しく知らないから、そういうものかと聞いていて、うつつなき・・・胡蝶、などとでてきたから荘周胡蝶を夢に見るを勝手に連想していた。(「荘子」斉物論篇)

夢で私荘周は胡蝶となって楽しく舞っていた。目が覚めてみればここにまぎれもない私がいる。
さて、私が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が私の夢をみていたのか?


kochou.jpg
不思議猫 部分



そういえば、昔ラジオで聞いて情景が心に浮かんだ、あの蕪村の梅の句はどれなんだろう、と再び探してみることにした。
Googl検索で“蕪村”といれたら、資料がいっぱい出てきて、びっくりした。家に居ながらにして国会図書館の閲覧も出来ちゃうんだから、いい時代だと思う。

みつからない。
ひとつ、これかなあ?というのはあったが

一輪を五つにわけて梅ちりぬ


どうもしっくりこない。
記憶というのは厄介で、なかなかむつかしい。


でも、別のかわいらしい句と出会えたのでニッコリした。

莟とはなれもしらずよ蕗の薹
つぼみとは なれもしらずよ ふきのとう

お前さあ、自分が花のつぼみだって しってた? 
そんなん知らんかった・・・といっているようなちいさな蕗の薹 を覗き込む蕪村さん


<寄り道蕪村> 続く...



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2015年02月08日

寺田寅彦を読む

寺田寅彦。物理学者。夏目漱石の「吾輩は猫である」に登場する寒月君のモデルだそうだ。

随筆「子猫」には身近の猫たちがさまざまに描かれていて、読むたび目線のやさしさに包みこまれるので、こころが穏やかになる。

 家で育てたり生まれたりした子猫たちを里子に出した後の、それぞれの子に思いをはせるくだりを読むと、猫というこの小さな生き物を通して、私もまた一緒になって運命というものを考える。そして物哀しさで胸がいっぱいになる。


「子猫」はこんなふうに終わる。

 私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時に私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり子猫でもかわいがって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れはばかりあるいは憎むよりほかはないかもしれない。
(大正十二年一月、女性)




「青空文庫」には随筆が結構な数収録されている。折りに触れては猫ものはもちろん、他のものも読んで、なるほどと啓蒙されることが多い。科学者の明晰な目と文章が心地よい。

「喫煙四十年」なんて、現在のヒステリックな嫌煙風潮を、なんというご時勢になったもんだくだらない、と嫌悪する私には愉快痛快きわまりない。

随筆集「柿の種」には自筆スケッチがあり、もちろん猫ものも見ることが出来る。

寺田寅彦自身が作詞作曲した『三毛の墓』という曲の楽譜が載っていたので、楽譜再生ソフトで再現してみた。
  三毛の墓 寺田寅彦.mid


mike no haka onpu.PNG


作曲者の演奏指示は
Andante Tranquillo  歩く速さで 静かに
quasi recit.......  recitante あるいは recitandoの略か?
ほとんど語るように、、、ということでいいのだろうか


三毛の墓

三毛(みけ)のお墓に花が散る
こんこんこごめの花が散る
小窓に鳥影小鳥影
「小鳥の夢でも見ているか」

三毛のお墓に雪がふる
こんこん小窓に雪がふる
炬燵蒲団(こたつぶとん)の紅(くれない)も
「三毛がいないでさびしいな」
(昭和三年二月、渋柿)


「子猫」に出てきた三毛のことだろうか。

なんという優しさ。
こころをこういう形にあらわせる。人間ていいな、と素直に思う。


寺田寅彦は、物理学をやりたい者はまずギリシャ神話を読め、とどれかの随筆に書いているそうだ。
それは、物理学の根本のイメージはギリシャ神話にある、ということではないかとは河合隼雄氏の解説である。

どういうことなのか? 哀しきかな物理学音痴、わからない。
これは、どんな文脈でどの随筆中にでてくるのか自分で確かめるしかない、読書再開。

「柿の種」の自序にこうある。

この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。
(昭和八年六月、『柿の種』)



※  ※  ※

子供の頃は足指によくしもやけができる体質で、冬になるとさんざん悩まされた。
父が「島崎藤村が『しもやけは痒い』って、なにかの作品に書いていたなあ」と言ったので、共感を探し出すべく家にあった子供向けの藤村作品をいくつか読んでみたが、しもやけのことを書いた文章はみつからなかった。そして、それ以上は藤村作品に興味を持つことなく、この探索は未完のままである。



三銃士.jpg

ねこ三銃士


右端はなんだ?



sanyada.jpg

さにゃだ幸村ですよ





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2014年12月01日

ついていないから笑う


小説はほとんど読まない。なにかきっかけがあれば読む。昔読んだものが急に気になったり、あるいはたとえばこんな場合・・・

「現在執筆中の『マリアビートル』という長編に、七尾という殺し屋がでてくるのですが、堺さんの写真を観ていたら何となくその七尾君の前日譚的な場面が浮かんできたので、書いてみました」
と井坂幸太郎がいう小編「ついていないから笑う」の初出雑誌ということで、「ダ・ヴィンチ 2010年 3月号」をamazonのマーケットプレイスで取寄せたのは退院して後の5月頃だったか。

中古品と謳ってあったが、基本、読めりゃいいのよと頼んだら、ぴかぴか新品同然で付録も丁寧に梱包されてあって、汚しちゃいけないと緊張してしまった。
他の店には、付録なしというのがあってフロクって何よ?と思ったけれど、付いているものは欲しいしーと店を吟味して選んで、よかった。

付録は堺雅人オリジナルフォトカードだった。
なんだ誰だこの妖艶な美青年は!
って度肝抜かれまして、指紋なんかつけちゃ畏れ多いと慄く手でオズオズと飾りましたわ。

井坂幸太郎原作の映画「ゴールデンスランバー」のころで、艶やかな美青年のポートレート裏には、釣りのいでたちで状況がちっとも吞みこめない、顔だけじゃなくて全身にこにこして、アホッいいかげんちったぁ気づけ!と、画面にむかって説教したいほどイライラさせてくれた、けれど憎めないあの青柳くんがいっぱいいるのだった。

堺雅人の千変万化を、あっけにとられながらも味わうことが醍醐味なのじゃ。このあいだの「リーガルハイ スペシャル2」でも、古美門先生なのに突然の美形ショットありましてな、おォ!とにやけましたわ。このギャップがたまらん。
にゃぁ〜

 で、「ついていないから笑う」殺し屋七尾君。これが愛すべきしょぼくれっぷりで。
ラストでは、一緒になって苦笑いするしかないのだけれど、そのときにはすでに七尾君のファンになっていて軽妙な語り口のこの小編がすっかり気に入ってしまった。

もともと堺さんの写真が導き出したストーリーとはいえ、ストーリーと共に配された写真は被写体堺雅人以外の誰でもないのに、レイアウトが洒落ているのも手伝って、読み進めているうちにすっかり、ここに写っているのが七尾君だ、なるほどこんな人物なんだね、と納得してしまった。素敵なマジックである。

写真撮影は江森康之。特集ページでのそれぞれの写真に物語を感じさせられたので、興味をもって調べてみたら映画のスチール撮影からキャリアを始めたそうだ。いろいろな場で活躍中で多くの画像がみられた。いずれも物語を、あるいはなにか起きそう?という雰囲気を感じるものだった。

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「文・堺雅人Aすこやかな日々」の裏表紙

撮影はその江森康之さん。
電子ブックで読んであったのに、本屋をのぞいた時、あぁこれだねェと手に取ってみたとたんレジへ向かっていたのは、この裏表紙のせいである。こういうのを手元に置かないでなんとする。
電子ブックは安い分こういった何気なく大切なところが削られているのだと知る。


この夏暑いさなか外出して、用事を済ませようやく帰りのバス停にたどり着いたら、3分前にバスは行ってしまっていた。その時間帯1時間に2本…
 「ついてないネェ」とベンチにすわったら、七尾君の顔が浮かんだ。なんだか楽しくなって待ち時間も苦にならなかった。

ついていないから笑う… 困ったときの呪文に使えるなぁと思った。
顰め面で暮らすより、いい男の幻影付きの呪文でにっこりするほうがいいでしょ。

何かとしんどい人生をやり過ごすための呪文として
「さてもよいこと二度ないものよ」
というのも愛用している。心理学者の河合隼雄先生の著作中で出会った。
長年愛用の呪文に
「想像や憶測に比べたら、実際のなんと単純で気休めとなることか」
というのがあって、リルケの「マルテの手記」で拾い出した。ちょっと気合を入れて事にあたらなければならない時の勝負呪文にしている。


本は増やしたくない。けれどしばらくしてから「マリア・ビートル」が紀伊國屋の電子ブックにあるのをみつけたのでダウンロードして読んでみた。紀伊國屋はアプリがKinoppyって、かわいいじゃないか 

痛快でした。
推理、サスペンス物というのは人が殺されないと始まらないというのが嫌なのね。しかし、これだけあっけらかんとテンポよく気の効いた語り口で進められると、こんな奴ヤッチマエ! とすっかりのめり込んでしまった。
新幹線のスピードの変化とか車両や駅の描写が、乗車している気分になって心地良い。
取り澄ました王子をも唖然とさせる七尾君のついていなさ加減。
線路は続くよどこまでも、いや、仙台までだったけど。そのあとがまた・・・
おつかれさま

「ついていないから笑う」も併録されているが、写真はついていない。
「ダ・ヴィンチ」ばんざい


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天道虫





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よかったな!(byゴン隊長)




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2005年09月04日

ヤケ読書

鹿島vs浦和戦 2‐2で終了。前半ごきげん、後半ふきげん。
浦和一人退場も田中達也の奮闘ぶりに、敵ながら天晴れと感心して、曹操よろしくあの田中が欲しいものだ、などと思っていたら見事に点を取られ、バタついていたらもう1点入れられて引き分けに終わった。

怒ってTVのスイッチを切ったが、何をしていいかわからなくなったので、床にあった読みかけの「ガルガンチュア」を開いて読み始めた。不機嫌な時にこういうのを読むともっと不機嫌になる。

アントラーズが勝っていたら気分好く読めたことだろうが、勝つとニタついてヴィデオを繰り返し見るしスポーツ・ニュースの梯子をするし2ちゃんねるまで覗きにいくから、読書などしていられなくなるのである。
つまりどうやっても読まないということになる。来週には図書館に返さないとならない。一回延長したのにまだ読みきれないから、もう返す。

解説も含めて面白いには面白いのだけれど、どうも今年の上半期で心身の消耗が甚だしかったのが回復していないせいか、もうひとつ気分が乗れない。

「徒然草」を引っ張り出して読み散らす。
『何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ』
このごろのわが心境にぴったりである。年をとったと言わば言え。




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