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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2017年04月30日

寄り道蕪村 象に海鼠に 四

《寄り道蕪村 つづき》

象の眼の笑ひかけたり山桜
ぞうのめの わらいかけたり やまざくら

はじめて読んだとき、柔和な眼をした象が上機嫌で桜を見上げている、象のお花見の図が浮かんだ。
異国出身の象と桜の取り合わせが新鮮で、おだやかでのどかで、いいなぁと感心した。

上野動物園のケープ・ペンギン(別名アフリカペンギン)たちが桜吹雪の名残を黒い背中にいっぱい貼り付けているというのも、おおいに和みながらよくよく考えれば、普通はありえないこの取り合わせ、実はとんでもないものを見ている、凄い時代だ。。

ここ日の本では猫も杓子もお花見するのさ。


さて句の背景はというと
51歳のとき、蕪村は妻子を京都に残して讃岐に行った。
讃岐、香川県、讃岐うどん━当然食べたことでしょう

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金毘羅祭礼図屏風より うどん打ち (金刀比羅宮所蔵)


それはさておき

その山、象の頭に形が似ているということで、四国は 讃州那珂の郡 の象頭山
中腹に金毘羅大権現こんぴらさんがある。絵ではちょうど目のあたり。


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共に 歌川広重 画


すなわち山桜咲く季節、目の前の景色全体を象が花見をしていると、スケールの大きな見立てをした作だそうだ。


同時代の伊藤若冲は独特で強烈な象を描いたが、蕪村は画いていないようだ。
かわりに一句をもって花見する象の姿を呼び出し想像させる。


今年の桜の季節、外出してバスから眺める風景の、あちこちに点在する満開の桜と小さな山を、蕪村にならって、象の花見といって楽しんだ。
あらためてみると、とびとびながら桜は思わぬところにけっこうあるものだ。

花見というと、とかく桜並木の下へ行きたくなるものだけれど、そして頭上の桜の天蓋を見上げてただ見とれていたいのだけれど、どうしても坂口安吾の「桜の森の満開の下」を思い出してしまい、花から気がそれる。
なんとなくぼんやりと雰囲気に呑まれて読み進めるうち最後に至るあの話は、よくわからないのだ。無理やりわかろうとして頭をひねったところで味気ない、と思うのでよくわからないままほうりだしている。考えるな、見よ━思考放棄。花の幻想。それでいいのだ、という声が聞こえる。

作品の背景がどのようなものであれ、また作者から明確に託された意味があるにしても、作品はそのまま鑑賞者の前に差し出される。
鑑賞者としては、好きに想像を広げて楽しむ。
時に作者からしたらぶん殴りたいようなトンチンカンなことを開陳してみせることだろう。しかし時には無邪気に作品の真髄を突いてみたりもする。

ともあれ、この句を読むと、象がうれしそうに鼻を上げて山桜を見上げている姿を思い浮かべて、私は笑顔になる。


大鼾そしれば動く海鼠かな
おおいびき そしればうごく なまこかな

とても素直に、いつか魚屋の店先で覗き込んだ桶の中の海鼠を思い出し、なまこって音たてるのか鳴くのか声をかければ応えるのか、と新発見の気分になった、、、冷静になって鳴くわけないよね、と苦笑い。
いや、うちのめだかは呼べばけなげに胸鰭や尻尾をひとしきり動かしてくれるから。

ごろんと横になると海鼠みたいな体型のひとが蕪村さんの近くにいたのね。


あたまからふとんかぶればなまこかな

おもふこといわぬさまなる海鼠かな


海鼠には海鼠なりの憂いがあるようだ。



人間の海鼠となりて冬籠る
                        寺田寅彦
敬愛する寺田寅彦もなまこを題材にしていた。




さびしさに花さきぬめり山ざくら


<寄り道蕪村> 続く...



posted by そら猫@あやまろ工房 at 13:59| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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