sared.gif
 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2016年12月26日

神に願いを♪♪かけまして 真田丸完走

だって、去年の今頃は検査の数値を前に、医者から「こんな状態で病院の中を歩いているのはあなたぐらいだ」と言われたんだから。
自宅安静申し渡され、暮れも押し詰まってMRIに潜ったりもした。日韓合意のニュースが待合室のTVに流れ「国辱である!」と頭から火を吹いてワナワナ震えてから一年たつ。
世界情勢の変わりように目を丸くしている。

健康でも一寸先は闇はおなじだが、四肢不具合あり心臓あたりに難あり状態で横になっていると、明日の命はないものを、これにて終 がすり寄ってきたような感じがして、もう覚悟しとかないといけないのかなぁとぼんやり考えていた。



その時、でもさ神様、来年「真田丸」ってドラマあるのよ、ほぼ一年50回なんだけど、堺雅人さんがでるのよ、せめてそれ全部見届けるまで猶予してもらえませんでしょうか、と心の中でお願いしたのだ。



kabemaru.jpg
10月になり幸村様が登場したら心がふるえて
6年間変えなかったPCの壁紙がこうなった



三谷幸喜劇場 真田丸 と呼んでいた

魔法の言葉「三谷劇場」
これでなんでも冒険できるものだねぇと、今は妙に感心している。
なにはともあれ三谷幸喜脚本であって、それがゆえに一本筋は通っていた。
好みではないけど。

舞台劇的で台詞での状況説明が多い、それが苦手で。
成り行きをご説明します的な言葉の多用は映像の作品ではやって欲しくない派だ。
彼の使う言葉の感覚が合わない。理が先立った翻訳調めいていて滑らかでないのがどうも。
関節はずしのような笑い要素も、時としては、ここではやってくれるなと思うことしばしば。
優良部品は揃っているけれど、接合が上手くいかないという感じがあってスッキリ出来ず、毎回なにかどこか引っ掛かっていた。

とかいっているが、要は
お皿にのって出てきた料理の塩梅加減が口に合うかどうかということなのだ。
だけど今回は食材が戦国時代だって。斬った張ったで人が死ぬの苦手なのよ。困ったなあ。


それでも観たのかって?
観ましたよ、堺雅人さん観たかったんだもん! 源次郎さま追っかけたの!
あ、これはまるできりちゃんではないか。


大河ドラマという長丁場の作品は、こういうふうなものだったっけかなぁ、一年毎週みるのも大変だなぁ、としみじみ思った。
作る側はもっと大変だろうけどそれは仕事だから。
で、見るほうは容赦なく切り捨てるから。あるときは正確に、あるときはトンチンカンに。


50回もあるとツッコミどころ満載すぎて、なにがなんだったか忘れたが、まあ一つ。

青葉台駅から田園都市線に乗って渋谷のオフィスに出るような感じで信州佐久と浜松を何遍も往来させてくれるな。(室賀、徳川に取り込まれるの件)
佐久くんだりから浜松へ出るのは大変だぞぉ。そんなに簡単に談判にいける距離じゃないんだぞぉ。
日本地図を引っぱり出して、天竜川下れば早いのか? いやいや、こんなに遠いじゃないか、てなことをやっていた。

地理空間的なことで、あれ??というつまずきが多かったのは、自分が海津城址が小学校遠足コースだった、お膝元に近い地の出身のせいだろう。

おお、源次郎、景勝様のところから上田へ戻るか、じゃあ千曲川沿いにルート18号を馬で飛ばせるな。
などと、いたってローカルな感情移入をするのである。

コーエー協力の地図を見て、それにしても長野県てホント山の中なんだねと今さらながらびっくりした。

京大坂だって、遠いよ。話の展開先行でそんなにたやすく移動させなさんな、新幹線も走っていない時代だよ。
移動に苦労するという現実感が、見事になかった。この脚本ならちょっといじるだけで舞台劇として上演できるのではないか。


そんなこと? ではない。ディテールにこだわってこそ全体の結構が映えるというものだ。

それにしても美術班、セット・小道具のこだわり、再現には舌を巻いた。細部の説明を公式ページで見るのが面白かった。
昌幸の部屋にあった本が「孟子」と「伊勢物語」あのおやじそんなの読むのかい😖
源次郎は九度山で植物の試験栽培中、薬研をごりごりしていた設定(なんかとってもよく分かる😃)
極めつきが、真田丸よ! 

“丸っと360°!!”のページはわがPCの真田丸ホルダーに入れさせていただきました 御礼
凄い仕事するなあ。こまごまともっと見たくなる。真田丸の美術とか、本になればいいのに。





なにより、ここまで生きててよかったと思うぐらいの名場面が拝めて嬉しいよ 

「源次郎様のいない世に生きていてもつまらないですから
・・・
「ちょっと なにするんですかッ
・・・
「遅い
「すまぬ
「せめて10年前に
・・・
あのころがわたし一番きれいだったんですから


ここ、ね。

源次郎クンときりちゃんの掛け合いを、
「(櫛の)箱は?
「ないッ
から、この二人おもしろいねぇと楽しく見守ってきたものとして、今生の別れというこのとき、ああようやくにしてと感極まった。きりちゃんよかったなあ、でも切ないねぇ。この鈍感源次郎めそれにしても、男前に育って。

喋りながらのキス。最高じゃないか。
泣き笑いさ。何べん観ても、泣いて笑って泣く。


映画だドラマだ舞台だと、そんなに沢山みてきたわけでもないが、今まで出会った中で一番のキスシーンだ。


後日明かされたのは、このシーン、堺雅人さんと長澤まさみさん二人の俳優が、台本になかったのを
ここでは二人の気持ちをより表わし伝えるためここでキスをすることにしたいが
それなら喋りながらというのはどうか 前からやってみたかった
いいねぇ
そうやって作り上げたということだ。
素晴らしい。
お二人に大いなる拍手。拍手。拍手。拍手。



真田源次郎幸村の最期の目を閉じた微笑みは、光の中に溶け込んでいって、哀切このうえないがふるえるほどに美しく清々しい。 
むかし男ありけり かく生きたりと後の世に伝えよかし

源次郎よくぞ戦った 見届けたよ と呆然としながら涙、画面がよくみえない。
神社に落ち延びた主従の姿に哀れ、と涙が滲みはじめていてここで頂点に達した。

堺雅人は喜怒哀楽すべてを笑顔で表現できる役者、と言われている。すばらしいです。


このシーンが思い出されては一晩転々として眠りが途切れ、睡眠不足か翌日は体調が大崩れして、寝込んだ。蒙朧としながら正直ここで年貢の納め時かと思った。
冒頭のような経緯もあって、これじゃまるで殉死だなぁと弱気になったが、ちょっと待ていくらなんでもシャレにならぬよと踏ん張った。ただひたすら寝ていただけです。
そうだ、私は六文銭を持っていません。三途の川は渡してもらえないのですよね。というわけでまだこっちの岸にいられるかな。。。


この場面について後日談で知ったこと。

幸村があそこで死を選んだのは美学のゆえではなく、戦況を慮って敵をくらまし味方の不利を招かない為の策として考えたことであるという。
それは 死せる孔明 生ける仲達を走らす そのもの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161220-00000066-spnannex-ent

『ここまでのようだな』というのは決して美学として言っているわけではない
どうやらここがギリギリだから、ここまで来たら佐助に首を取って逃げてもらった方が作戦上よろしかろうという非常に現実的な選択だ


こういう考え方もあるのか、と目が覚める思いだったが、そこでふと先の大戦の硫黄島の戦いのことを思った。硫黄島の戦いについては青山繁晴氏の「ぼくらの祖国」に依ってさまざまな考えをめぐらしている。
ちなみに指揮をとった栗林中将は旧信州松代藩の出身だ。

日本人はとかく最後は情に流れるのに、この幸村の死の選択は美学からではないという。
情緒に流れていない。
最期まで知に立ってあくまで思考停止はない、この乾いた発想。

それでいて場面には余韻嫋々とした趣が漂う。日本の歴史物語なんだなぁ


信繁の最期
脚本 (空を見上げる)
演出  自分がやるべき仕事は全部やったんだと、
    この世にあまり思いを引きずらず、安らかな顔で終わりたい
俳優  「目の男」として見続けてきた男の最後くらいは
    目を閉じさせてもいいんじゃないか

鮮やかなコラボレーションだね。
堺さんは最初から、信繁は、見る、目の男であると言っていたから、その人が目を閉じたときは死を意味する。

見事に完結した。
信繁、おつかれさま



****************
愛でてやまないシーンいっぱいありますよぉ

「どこから見ても得体の知れない爺だわ
「(ニコニコ)
・・・「油断しゃしぇるのだ



真田丸の攻防に勝利。
猛将幸村公、チョイチョイと木村重成を招きよせてなにを言うかと思ったら
目をパチクリさせながら
「心の臓が口から出そうだったわ
こう聞かされて重成ポカンとし、促されるとニッコリして城へ走る。
源次郎幸村の緊張解けやらぬ放心顔と重成のニッコリ具合と、間合いがよくてねぇ。


などなど などなど ホルダーにいっぱい



キネマ旬報 2008 11/下 に『実存演者・堺雅人』という表現があって、なにやら難しい言葉を編集者はどういう意味で使っているのだ?とクビをひねったが、今回いろんなインタビューが出て、あー、とちょっとわかった気する。

幸村が使う十文字槍って重いんですよ なんか腹が立ってね
こんな重い槍を持っているのだから使いこなす理由がないと嫌だということが根底にあったかもしれません


たぶん十文字槍を地面に突き立てて馬上筒の支えにするというアイディアのことを言っているのだと思う。

この方は、重い!と槍に腹を立てて、ただただ振り回すのは納得せず、かといって軽いのにしてくれというのでもなく、、幸村が重い十文字槍を何故必携しているのかと思考と試行をめぐらし結果銃の支えに辿り着くのである。
そして視聴する者は出来上がったその場面を見て喝采を送るというわけ。
こういうのは、創造の妙だね。



📖 📖 📖


さて、お礼が遅くなってしまいました。神様。
なんやかんやムニムニいいながら生き延びられました。
ありがとうございました。

「文・堺雅人」3 もう少ししたらまとめられるんじゃないかなぁ、それ手に取りたいなぁ📖
鳩の源次郎くんときりちゃんの水場を確保しておいてあげたいですし
いや、神様におまかせいたします

二礼ニ拍一礼





sanyada.jpg
さニャだ幸村クン現在行方知れず
さてはうちの真田も薩摩に落ちたか






posted by そら猫@あやまろ工房 at 01:08| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/445247289
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック