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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2016年09月16日

夏の名残に「ジャージの二人」逍遥


この映画は何回か観てあったが、八月の蒸し暑い夏の一日、せめて目の避暑をするべしと見たら、いままでになくゆるさに集中できて「これはよく出来た映画だなぁ」と面白さいろいろ再会・発見だった。

元気がでて、この期に及んで原作を読んだり、制作風景も見たくなって特典付DVDも買ってみた。


そういえばジョン・レノンは、リチャード・レスター監督の「How I won the war」に単独で出てた、よくわからん映画でラストシーンを朧にしか覚えてないや、軽井沢ではストレートのコロンビア・コーヒーを飲んでいたそうだとか、とりとめもない連想の道草まで始めて時間は過ぎてゆく。


『なんか、こう・・・いいね』 状態に浸っているうちに夏は往き、シオカラトンボがウキウキ飛び始めている。

おっと、頭の中だけでも山荘にまだ居させておくれ、と季節の早い移ろいに抵抗する。



映画の肝は、堺雅人と鮎川誠の二人を親子で並べたことで、これよくぞ思いついたものだ。

始まりは、魔女遠山さんの言うとおり、「親子にみえない、変」という感じだったのに、そのうち二人が並んでパソコンを覗いているあたりになるとこれが、そこはかとなくなんとも似てる。
わぁ親子ですねぇ、と一般ピープル親子を前にして発するのと同じレベルで感想が出てくる。

 シーナ&ロケッツのシーナさんが堺さんに「若いころのマコっちゃんに似てる」といったそうだが、あーこのお墨付きがあるのなら何もつけ加えることないですね。



会話の有るなしにかかわらず、二人のたたずまいと間(ま)が醸し出して、全編に漂うこのゆったりとした日常感が、とても貴重で好もしい。

奇を衒った過剰な表現はいらない。
そういうものがなくても、日常はじっくり観察すると十分な活気と刺激にあふれている。
気づくか気づかないかだけだ。

**

これまで、気に留めなかったやりとりに引っ掛かって原作を読む気になった。

遠山さんの話し方はアニマート 生き生きと
僕なんかは?
・・・ラ×○●×△×
どういう意味?
教えない

教えてくれないのだし、そのまま、父はリタルダンド母はレガートと続くし、ふーんと聞き流していた。

今回は、ところで僕は何だといわれてるわけ? と耳をそばだてたら、ラメンタービレ? lamentabile?

音楽用語で lamentabile は 悲しそうに 哀れに  だって。

おい、花ちゃんて嫁さんに似た容赦ない女子(おなご)だな、とぎくりとした。
おなごは容赦などしないというだけかもしれないけれど。

聞き間違えていないか原作を確認しよう、となったのだ。
なんとここは映画オリジナルだ。主人公の僕は異母妹にそう見られている男であるのか。ふっと息子の輪郭が見える。
さらりとこの一言をいれていたのには唸った。

知らぬが仏とはいうけれど━
演じる堺さんと監督には、この男だったら奥さんああなるの仕方ないか、みたいに言われてるし、いいのか 息子、言われ放題。


でも息子も小説のほうでは別のところで花ちゃんにやり返していて、クスリと笑う。

「のびたねえ」僕の第一声は毎回それで、花ちゃんはそれで笑う。
成長をまぶしく感じているというのではなく、雑草かなにかが「無駄に」のびた、そんな呆れた声音になっているのだと思う。
長嶋 有 「ジャージの三人」



「無駄に」のびた、というところが私の笑いのツボにはまっただけで、息子クンはただ思うところそのままを、なんの含むところもなく言ってるんだろうな。
んでもって・・・ラメンタービレ のお返しをくらう。

まあ、あるようにしか生きられないから。


cover2.jpg
即席お好みブックカバーを作って読書


文庫本をamazonで取寄せたらカバーが親子のイラストだった。webページにそれと並んで載っていたのほほんとした風景イラストの方がほしかったので、イラストを真似してブック・カバーを作った。真似して描いたはずなのに、木が平気で横に移動しているのには、素直にトレースもできないのかと、ちょっと自己嫌悪になったがすぐ回復した。
木だって歩きたくなる時もあるだろう


**********

届いた本を開いて冒頭の文字を目にしたとたん
「上手い!!」
と思わず声がでた。

原作は、夜からなんだ。

上手いというのは、小説では夜の出発を、映画では、コンビニの看板を見上げて蝉の声が聞こえる、いかにも暑さ盛りの昼日なかの画面から始まったことに対してだ。

夜と昼の逆転で始まることで、共通項はあるがそれぞれ独立した世界だよと、ワンカットで了解する。
映像が語る━普通に映画はこうでなくちゃと喜んだのね。



「昔、この道でジョン・レノンとオノ・ヨーコをみたよ」
と父が言い出す。
   (え?息子と一緒に 固唾を飲む。)
 沈黙。
 「先に言ってよ!」
 「なんで」
 「もう、生活が全然違ってくるよ」

わかる、わかるぞ息子。その叫び。
再び沈黙。
ひと夏の別荘暮らしの場から去ってゆく車の後ろ姿で「ジャージの二人」の部おわり。これがいい。

小説には息子の叫びの説明あり。文字世界だと書くよね。
映画の沈黙の間に当方が思い巡らしたことと一致していた。

そうだよねとためいき。
親ってそうだよ。
大事なことを後から言う。

あるとき母がぼそっといったことには、
“昔弟が獣医で小岩井農場に行ってたから、訪ねていったことがある。馬車に乗って”
話題が出たのはそれっきり。
 昔━戦前の 小岩井農場へ 馬車に乗って━
宮沢賢治に多少なりと首をつっこんで、聖地巡りの旅で小岩井農場詣でをした者はちょっと目眩がした。
 先に言ってよ



男二人黙ってトマトをかごに入れている様子をみているだけで、笑いが込みあげて来るなんて、とても豊かな笑いだと思う。


脚本は中村義洋監督が書いている。

原作を読んで知る、映画は削りに削りながらも、小説世界の要素をさまざまに映像に集約させていること。

言葉でしか表しえないこと、もの。
映像でしか表しえないこと、もの。

原作はあるが映画は独立した世界であると、背筋を伸ばした姿勢がはっきりしているから、かえって映画と小説の間を、気持ちよく行き来できる。

一年後「ジャージの三人」の部になって、映画での父子はおそろいのジャージを着ない。
和小と田井小。たいしょー、大将かい。楽しそうだな。
おそろいでない、という設定がいい。

ストーリーや細部の違いに、なぜこうした、という違和感がない。
映画と小説と、それぞれに流れる時間と空間で、それぞれの人物がそれぞれ自然に、それぞれに相応しく生きていると、思えるのだ。

原作ありの映画をみても、見た後ことさら原作を読もうという気にならないくちだが、今回は読んでよかった。

 ありがと 耳にとどいた lamentabile 🎶


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「さかいふぁん」と幟たててから日は浅く、ぽちぽちと旧作を拾って観てきた。

たまたま外出先で見た「リーガル・ハイ」での堺さんの台詞まわしに
「日本語をこんなに緩急自在、力強くしなやかに明瞭に、耳に届けてくれる役者がいたのか!!」
と仰天してひれ伏した。

有名な絹美村の回ではなかった、というのが今にして思えば、まだ感覚ぼけてなかったねと、反応した自分をちょいと褒めたい。
役者にピキピキッと反応したのは実に実にひさしぶりだったもので。
脚本が古沢良太さんというのがほんとによかった。

と、堺節台詞回しにうっとりするいっぽうで、
あのね、古美門研介・半沢直樹と続いたものだから、世間はいとも安易に長広舌は堺雅人、のレッテルを貼ったけれど、
私はこの作品の中村義洋監督の「堺さんの真髄はリアクションだ」との見方に共感するものである。
監督曰く「とにかく、面白いんですよ」 

一方「この映画は鮎川さんの観察日記」という堺さん。
この方の韜晦とレトリックはその裏で実に的確に核心を衝いているもので。
ふむ、秀逸なリアクション演技の極意は観察にあるのか。


真髄はリアクションだ、ととらえているからこそ、ではこの人が逆をやったらどうなるのかという地平線が見えて、次に組んだのが「ジェネラル・ルージュの凱旋」とは。


ひと月ほど入院した大学病院の、病棟1階に救命救急センターがあって、コインランドリーが地下1階だったから通りすぎるたびに、速水先生━━😵とうるうるしていたし、売店に立ち寄ってはチュッパチャプスを買い込んで、チュッパチャプスツリーのほぼ半面を空にしてやった。

救命救急センターはいつも人影はなく際立って静寂が支配していた。実際はこういうものなんだと実感してきた。

それに、禁煙を余儀なくされたらチュッパチャプスをくわえているのがいいんだよ。飴玉はイライラうっかり飲み込んでしまう。
まぁ、ね  退屈しなくて済みました。イチゴミルク味がおいしい。


よりによって困ったことに、映画でもドラマでもナレーション付くの嫌い、歴史もので幕末と戦国はもう食傷というのに、正直渋々観ている「真田丸」では、源次郎くんのリアクションをみることにしている。そうすればなかなかいけるよ。

そうするより仕方の無い筋立てだしなぁ。

小さな声で言う。上田駅には何度も降り立ったけれど、幸村公の像を見たことがない。
いつもロータリーで一服したら満足して、とっとこ、しなの鉄道乗り場に向かっていた。
世の真田好きにとっては顰蹙ものだろうが、だって幸村公は人質になって上田を出ちゃって、活躍したのは大坂じゃんねーと屁理屈をこねておく。

で駅前、公は何処におわしますや?
今度上田に立ち寄る際には ぜひ御目見得をたまわりたく御願い申しあげ候 とか言ってるときに限って行けないものであります orz


でもまぁあれですよ、いつのまにか源次郎ときりちゃんの掛け合いが楽しくなっていて、ベランダに遊びに来るつがいの鳩を、源次郎〜きりちゃ〜んと呼んでいたら、『ヘッ?』と首をかしげたり、近くに来て目をパチクリさせキョトンとするから可愛いものだ。

 楽しみは勝手に自分で見つけ出すでございます


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北軽井沢側から見たことはないが、向こうの軽井沢側からはさんざん眺めた浅間山が、肩の下がり方が逆とはいえ、おなじみ「浅間山」として嬬恋の遠景に形よく澄ましておさまっている。

あの台形頂上の右の凸のあたりは外輪山の黒斑山で、嬬恋村側からは「三ツ尾根」と呼ばれているそうだ。
あそこを昔登った、と今頃思い出した。
途中で、浅間山が過去に噴き出したのだろう火山岩がごろごろしているガレ場へ出た。雲いやあれが噴煙か?が流れてくると視界は遮られ、どこからか轟音が聞こえてくるし、賽の河原とはこんな場所を言うかと怖くて震え上がった。



裾野にキャベツ畑の広がる緑を従えると、
なんかこう・・・浅間山が可愛らしく映ってみえる

設定としてはレタス畑なので、役名:レタス のキャベツたち

・・・

そうだ、和小の読み方は解決したけれど、解決していない BLTサンド とは ベーコン・レタス・トマト・サンドでいいのかな

トマト攻撃にあってうんざり、わかっていてもTomatoと言わない?


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近頃見かけるTKGとは
 Taマゴ・Kaケ・Goハン
と分かったときは怒りと落胆しかなかった。
なんでも頭文字にするの、やめてくれ。
頭文字に詳しい人まわりにいないんだから






posted by そら猫@あやまろ工房 at 00:51| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 観る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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