sared.gif
 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2017年03月26日

べらんだ日和 ちょっと複雑


室内水槽のめだか。じっとしているところへ「おはよう」と声をかけると胸鰭を動かして尾を左右に振る。
水面へ浮いてきたので、そっと背中に触ってみた。

触らせてくれたぷくちゃん
buchi.jpg
指先に感じたちょっとぷよっとした固太りの触感に、めだかの背中!と感激。


*****



去年から昵懇になった鳩の源次郎の特徴は、全体が灰色主体の羽、翼の黒いライン二本と額の白い差し毛だ。

三月にはいって間もなく、おや源次郎が来ていると、手すりに居る鳩をよくよく見たら、体がすらりとして小さめにみえるし、なんとなく黒いラインが細い。いつのまにか換羽したのかなと思ったが、顔をみたら差し毛がなかったので、新来の鳩なのだとわかった。

kogen_march2017.jpg

灰色の背中に二本の黒ラインが同じなので、小源次郎と呼んだ。


ある日、似た格好の二羽が並んでいた。
kogen-g_march2017.jpg

お話中
koge-ge_march2017e.jpg


おや?
koge-ge_march2017.jpg



片割れは源次郎  おでこの差し毛ですぐに面が割れる
genjiro_march2017.jpg



サボテン鉢の上におみやげ  ゲンジロか なにしろここは彼の定まった通路 
tebukuro_march2017.jpg


手袋・・・ 前の遊水地で植栽の伐採やら整地やらしているから、作業員の持ってきちゃったのかな。
tebukuro_march2017b.jpg



おととしは贈り主謎の花冠がひとつ置いてあって、ちょっと風流を感じたものだが。
IMG_1662.jpg




左:源次郎  右:小源次郎
koge-ge_march2017f.jpg



源次郎、樽型プランターに入り込み土くれをつつく。 巣の仕度?
gen_03242017.jpg
座り込んでグーグーと鳴き続ける。
離れた所できょろきょろ周りを見ている小源次郎にしきりに声をかけているようでもある。



二羽で入ってみる
koge_ge_03242017.jpg





夫婦仲良く一生添い遂げることを麗しく譬えて“鴛鴦の契り”とはいいますが、鳩の世界はまた別なのでありましょう。

ペンギン界でも、相手を替えず仲良く一生添い遂げる鳥ですといわれるけれど、そーでもないとはよく聞く話。
shin_eno_pen.jpg
 新江ノ島水族館のフンボルトペンギン 本文の内容とは関係ありません 




*****



というわけであたらしいカップルがベランダに飛来することとなった。


koge_03242017.jpg
どことなく楚々としたたたずまい。
華奢で動きがまだ若々しく可愛らしい。



gen.jpg源次郎よ
鳩の記憶回路はどうなっているか知らないが、人間には山のように溜めこんだ記憶があってな、しかもそこにはさまざまな感情がからんでおる。それを思い出と言っておるのだよ。
きりちゃん、もうこないのかな・・・ 


小源次郎と呼んでいたが女の子だったわけで、でもいまさら春ちゃんと呼ぶのもねえ、火箸逆手に持ってかまえたり、障子にポコポコ穴を開けるいさましい雰囲気はないし・・・

小春ちゃんにしよう。そうしよう 
kogen_03242017.jpg








posted by そら猫@あやまろ工房 at 11:50| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 花鳥風月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

寄り道蕪村 花に真田が 参

《寄り道蕪村 つづき》

蕪村さん、安永九年(1780年)二月、今でいえば三月下旬ころになるのだろうか、高野山へ詣でた。64歳。
その帰りに麓の九度山に寄った。

 高野を下る日
かくれ住て花に真田が謡かな
玉川に高野の花や流れ去る



玉川は高野山奥の院を流れる禊の場ともなっている川。

kouya_tamagawa.jpg 広重画
クリックで拡大
画に書いてある歌は
わすれても 汲やしつらむ 旅人の 高野の奥の 玉川の水    空海
飲むなという定めを忘れて旅人は汲んでいるのかここの水を
ここの水飲むべからずと知らせているのに なんで飲むかなぁ とおっしゃるが、なにがいけないんでございましょう。毒があるとか?でも魚は泳いでいるし水行も行うんだよね。
体長10~20cmぐらいの、背中にブチ模様のある魚がいるそうだ。

その川を花びらが流れていく。花=さくらの季節だ。
そこから五里ほど下って九度山の里。


かくれ住て花に真田が謡哉
かくれすみて はなに さなだが うたいかな


sanada_menkyo.jpg
幸村公はゴールドカードです。。。。家訓:売られた喧嘩は倍にして返すべし 
うむ、ん?...うんうん、そういうことですね 



九度山はかの真田幸村公、隠忍十四年の地。おお与謝蕪村さんは訪れていたんだ。


関が原戦で敗軍側となった昌幸・信繁(幸村)父子、蟄居━死罪の一つ手前、高野山送り、がなぜか麓の九度山の里住まいになった。

村は高野山参道入口にあるし、街道には当然参詣人の往来があったろうし、環境は人獣鳥も通わず姿も見せぬという風情ではなさそうだし、近くの川で魚を釣っていたというエピソードもあるし、地図をみればこれは魚釣りに行きますわ。地元の神社から祭礼に招かれたり。地元に馴染んでいらっしゃったようだ。徳川方浅野家の見張りもいたということだが、切迫してるのかのんびりしているのか、昔の人の感覚はよう知れない。

そして、大坂の陣の真田鉄砲隊には九度山から馳せ参じた猟師たちがいて百発百中だった、などという逸話が残るのだ。風雲急を告げるとあらばいつでも戦闘応戦しますゼ・・・ゾクゾクしますわ。


秀吉はたいそう能が好きだったという。
かつて大坂勤めだった左衛門佐幸村公。牙を抜かれて鄙に押し込められたとはいえ、花にこころ動けば豊臣家臣の武士のたしなみ、謡の一つもでようもの。武士の気概衰えず。
 

ところで、蕪村はここで謡といっているが、どんな曲を思い浮かべただろうか? 

大河ドラマ「真田丸」を観てあったから、‘真田の謡’で『高砂』を連想した。ドラマでは父子二代で徳川勢挑発に使っていた。また、秀吉がお気に入りで、自身何回も舞ったという『源氏供養』を、秀次が上演してご機嫌取りをしようとする場面もあった。その回は『源氏物語 宇治十帖』が手に入ったと豊臣の女衆が喜ぶところなど「源氏物語」がらみがさりげなく出ていた。

1585年の第一次上田合戦で、敵の挑発の為に真田側が『高砂』をはやしたてたというのは、合戦から百年ほど後1680年前後に上野沼田藩の加沢平次左衛門が聞き書きをまとめた地方史「加沢記」のなかの『上田寒川合戦』に出てくる。

今はこういう記録を追って そうだったのか、と知るが、マスコミュニケーションの情報伝達は人力頼りだった昔こそ、強力濃密な口コミ活動が展開されていたのじゃないかと思うのだ。

真田はな、こないだの戦のときなんと『高砂』うたってたで ほんで勝っちまって と口伝えで次々と世間に知れ渡っていったかもしれない。人の移動があればそこに口承の文化がついてくる。
人から人へ語り継がれていくうち伝説もつぎつぎ付け加わっていくというわけで。和泉式部も小野小町もあちこちにお墓が出来上がる。
なんと幸村公にも鹿児島のひなびた山村に苔むした小さなお墓が伝わっている。


夏の陣の後すぐ
 花のやうなる秀頼様を鬼のやうなる真田が連れて退きも退いたり加護島(鹿児島)へ
と、わらべうたが世間に流行ったという。
直後でこれだから、以後も巷間さまざまな話が語られていったことだろう。
大坂戦後六十年ほどして書かれた「難波戦記」で初めて真田幸村の名が登場してくる。本人がこの名前を使った記録はない、徳川幕府に憚っての命名かといわれるが、どこからきた?幸村公。

前出「加沢記」上田寒川合戦の中に『昌幸公を初め男藤蔵信為、舎弟隠岐守昌君』と出てくるが、この男(むすこ)藤蔵信為は、真田源次郎信繁のことと指摘したものがあって、なるほどと得心した。いかにも真田一族命運をかけた総力戦の観だ。後継の嫡男以外は表に出る名前といって固定しなかったものだろうか。昔の人はよく改名したし。今でいう個人情報なんて、なんのことだという時代世界。


しかしともかく、名前は出せないがアノ人
幸村とは民衆が公に奉った名前で、それが四百年の時を生き続けているんだと思う。


さてそれで、蕪村さんが言い出したので、勝手に空想をひろげて、なにを謡った幸村公

『高砂』は松の精の話だから花=桜の季節に、緑が強くないか? 今回、ここは桜の色彩で彩りたい。

秀吉が好きだったという『源氏供養』は? 季節設定は一応三月。
紫式部が物語のなかできちんと光源氏を供養しなかったから、仏罰が作者本人にくだって成仏できずにいるというわけで坊さんに供養を頼むという、気位高きインテリ女性紫式部に喧嘩売るのかみたいな筋立て。同時代だったら日記の中で、なんてこと書いてるのよ いとにくし、とじっとりやり込められそうだけどね。
舞とともに桐壷、箒木、空蝉、夕顔と巻名を次々ならべていかれたら、源氏マニアはうっとりしそうだが。



『鞍馬天狗』 ときは三月
 花咲かば 告げんといひし山里の 告げんといひし山里の 使は来たり馬に鞍
 
蕪村さん!これがいいよ

見る人もなき山里の桜花 よその散りなん後にこそ 咲かばさくべき
誰も目をくれようとしなかった山里の桜 さて これから咲いてやろうか 

蟄居隠棲の地に、いま、豊臣方に加勢して欲しいと秀頼からの使いが来た。 いざ大坂へ 馬に鞍おけ 

sanada_sandai.jpg真田三代記 片桐且元、幸村公の居所をお地蔵様に教えてもらう
クリックで拡大


遮那王牛若・義経に大天狗は兵法の奥儀を伝え、平家を討ちなされ、影より御身を守る、と言い残して鞍馬の夕闇の中に消えてゆく。

桜を背景にして、戦えと鼓舞する『鞍馬天狗』

‘真田が謡’にふさわしいと思います。
幸村公の大坂入城は秋十月・・・細かいことはいいんだよ。使者は春からきていたんだヨ ケフンケフン

小狐の何にむせけむ小萩はら


この大天狗、花見の連中にぞんざいにあしらわれ疎外されたが、牛若丸だけが一緒に花を見ましょうと優しく誘ってくれた。言葉をかわすうち『か、かわいい』と恋情が湧きひとり頬を赤らめる。
この作品には男色の気配が描かれているとかの解説があるが、かわいきゃかわいいと思う、それがなにか?ことさらにいいたてるなぞ無粋。恋する大天狗のもじもじ、好もしい。

ここ日の本の国は数々の古典文学を持つ。ことに『とりかえばや物語』なんて、おおらかな日本に生まれてよかったなあー これが平安後期に書かれてるんだよと読書中何度も感嘆したものだ。


蕪村の句のなかには歴史に思いを馳せて時空を超え、連想を呼びイメージを拡げていくものがある。
正岡子規はそれを『理想的美』という言い方をした。理想的美ってなんじゃい?わからんがなと首をひねったが、今の言語感覚だと幻想的とかファンタジー世界とかになるか。


鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分哉
 十二世紀保元平治の乱のころを想定したか

伏勢(ふくせい)の錣(しころ)にとまる胡蝶哉
 戦の最中である 待ち伏せのため身を低くして潜む兵の 兜の首周りに ひらひらと無心に舞ってきた胡蝶がとまった
 
どちらも映画のワンシーンみたいだ。後者なんて、状況が違うとはいえ映画「西部戦線異常なし」のラストシーンを思い出す。



九度山真田庵には句碑が二つあるそうで
ひとつは

かくれ住んで花に真田が謡かな

もう一つは

炬燵して語れ真田の冬の陣

 こちらは正岡子規の明治27年の句 『寒山落木』巻三より この年の7月に日清戦争が勃発し、翌明治28年4月に記者として従軍した。


天明四年(1785年)版の「蕪翁句集」には“かくれ住て”とあり、読みは“かくれすみて”が流布しているが、句碑ではなにか拘りがあったのだろうか。
子規が「俳人蕪村」のなかで かくれ住んで としてはいるが。句碑は濁点で子規の解釈をとったのか。

まあ、表記は別に統一されているわけではないし、古典というのは当て字もけっこう大雑把なものだし、こまかいことを言ってもつまらない。

でも
かくれすみて はなに さなだがうたいかな
こちらのほうが蕪村の言葉が持つ音らしく感じられるのだ。
声に出して読んでみて、そう思う。



花に暮れて我家遠き野道かな



<寄り道蕪村> 続く...








posted by そら猫@あやまろ工房 at 16:06| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

寄り道蕪村 花もあられも 弐

《寄り道蕪村 つづき

あれもこれもといろいろ頼んだ“日本一おかき処 播磨屋本店”のおかきが届いた。さっそくぱりぽり ━んんおいしい━ 食べながら蕪村の俳句を味わっていくことにする。

ネット動画「nc-kyoと愉快な仲間たち」で許平和さんとKaoriさんが、おいしいーとそれはそれはいい顔をして食べていたので、さっそく初めてコースの試供品を送ってもらって、それからもう2度目の注文とあいなった。
harimaya_okaki.jpg
これが試供品やで なんで関西風に訛るかや

さて、このあいだは許さんが番組の中で言い放っていた。

 頭悪いわ 健康やわ 長生きするわ  ひととして最低やで 手に負えん

ワッハッハッ異議なーし。
人はひとつぐらい病気があったほうが案外健康に過ごせるという話の流れだった。

病気を抱えているのも鬱陶しいものではあるが、かえってさまざまな方向へ感性が開くというのもたしかにあることだ。病神に取り憑かれたらどうにもしがたいものだが、せいぜい心懸けるべきは森羅万象に向かって謙虚になることと、明るく生きましょということだ。

許さんとKaoriさんの、アホ・バカ・ボケェ、死んだらええねんこんなんーと傍若無人の罵詈雑言がたまらなく好きでね。


そういえば吉田兼好さんは、友にするに悪き者のひとつに、健康な人を挙げていたなぁ。(「徒然草」第百十七段)


花の幕兼好をのぞく女あり

 兼好さんはけっこう女人のことをああたらこうたら書いている。時に女嫌い?と思わせるほどだがそういうわけでもないらしい。
化粧ばっちり薫香漂う女人からたわむれにちょっかいかけられたことをわざわざ書き残している。(第二百三十八段)
よろめかなかったよ、と自賛の中にいれているが、なかなかに艶な目に出くわしていらっしゃる。これは、兼好法師を色仕掛けでひっかけて話のタネにでもしようかと画策したおばちゃんの差し金だった。古今おばちゃんというのはえげつないものだ。


兼好は絹もいとわじ更衣
けんこうは きぬもいとわじ ころもがえ
 あじけない堅物ではなかったのは確かだと思う


兼好さんは、八歳のとき
「仏とはどんなものですか? どうやって人は仏になるのですか? 仏を教えた最初の仏はどんな仏でしたか?」
と、お父さんに問い続けたところ

父「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ

   
子供の問いに窮まって、仏?天から降ったか地から湧いてきたか、といって笑ったお父様であるが、真理に行き着いてません?  「徒然草」最終の第二百四十三段。


歩き歩き物おもふ春のゆくへかな



*******************


taikan_hisui.jpg
播磨屋本店さんのおまけ 大観の「翡翠」 カワセミだよ



<寄り道蕪村> 続く...





posted by そら猫@あやまろ工房 at 20:28| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする