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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2016年10月15日

柿くへば ノーベル賞が ボブ・ディラン


伊勢神宮近くでとれた蓮台寺柿をいただいた。


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完熟させたのを『づくし柿』と呼んで、一番おいしい食べ方とされているそうだ。
例年待ちきれなくて、あ、もうひといき置いてからでもよかったかな、というところでかぶりついていたが、今年は溜めにためて、これぞ『づくし柿』を食べられた。


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☕ ☕ ☕ ☕ ☕

今年のノーベル文学賞は、ボブ・ディラン氏 と発表があって、驚いた。
同姓同名の作家がいるのか? とまず思った。
(75歳)の表示に、そんな歳になっていたのかと一番びっくりしたところがそこだった。
自分のことは容易に棚に上げる。


文学賞を歌手が? という疑問符が飛びかったけれど、ボブ・ディランは自ら言葉を紡ぎ歌ってきた人だ。
さまざまな国の文化のなかで、詩人という存在は重要で尊敬されている、と浅学ながら思うのだ。
実在したかは確かでないといわれようが、なによりギリシャのホメロスは吟遊詩人として現代に伝わっているではないか。
吟遊詩人は、みずから詩曲を作り、各地を訪れて歌った人たちだ。


ものごころついたころには、ボブ・ディランはもう神格化されていたから、『風に吹かれて』は何べん聞いても遠くで響く歌だった。


近くで聴こえたのが『コーヒーもう一杯 ONE MORE CUP OF COFFEE』で、その曲欲しさにベストアルバムを買った。


久しぶりにと、レコードに針を落として聴いた。
海辺のカフカくんが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をサンスイだったかのスピーカーで聴いて別宇宙かと粛然とした、そういう音は、ウチのリーズナブルなスピーカーには望めない。が、十分アナログな音である。

 道行くためにコーヒーをもう一杯
 もう一杯のコーヒーをのんだら
 下の谷へおりるのだ
                  訳:片桐ユズル


このフレーズはずっと、今でも折にふれては自分に向けてつぶやく。


ストックホルムAFP=時事 10月14日21時10分配信
 ノーベル文学賞発表から丸一日経つもディラン氏本人と直接連絡がとれていない

読んでニヤリとしてしまった。



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コーヒーもう一杯





posted by そら猫@あやまろ工房 at 10:28| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

そばがきは馬の鼻息で


このあいだ「真田丸」の『歳月』の回で“そばがき”がでてきた。

紀州九度山での幽閉生活が長くなり、弟が財政逼迫を打ち明けるとお兄ちゃんが、お前たちにひもじい思いはさせない、と意気込んで定期便で送ってきてくれるのが、蕎麦の実、いっぱい。


これを石臼でごろごろ挽くとそば粉が出来上がる。
現代ならば貴重品、国産、産地直送、信州蕎麦粉!

しかし
「今月も そば・・・」の源次郎さん一家。
そばがきを作って一杯十文で売ろう!となったが、馴染みのない食べ物のせいか商いにならず。
お話の時代設定は慶長19年(1614年)ころ。


今普通にいうそば、細長く切ったいわゆるそば切りは、木曽 定勝寺、天正2年(1574年)の寄進記録に『振舞ソハキリ (ふるまいそばきり)』とあるのが日本で最古の記録ということだ。
そば切りの形での食べ方はすでに知られてはいたが、まだ珍しいもので一般には広まっていなかった。

売れ残ったのを、ほそく切ったらどうかな、とか言っていた。さすが信州人食べ方いろいろご存知。
それって十割そばといえないか。

劇中登場したそばがきは、茹でたものだった。


ウチの田舎では、母がいつもお湯をそば粉にかけて手早くかき混ぜて出来上がり、だった。
そして食べる前に決まっていうことには

そばがきは馬の鼻息の湯気で混ぜるのが一番いいんだよ


温度がちょうど良いんだとか。
そばがきを前にすると必ずこう聞かされたものだから、そばがきというと、白い鼻息をフンフンと出しながら首を伸ばしてくる馬の幻影が浮かぶようになった。

冷静になってみると本当に鼻息だけでできるのか? どうやって? お湯の温度のことを言っていただけなのか? と思うのだが、子供はそんなこと聞かされたら「そうなんだー」と信じるだけでなにも疑うなんてことしなかった。


そばがきと愛すべき馬面の幻影は永遠のワンセットとなって、いまだって現われる。
近所の神社に神馬がいて、鳥居前の小舎からよく表に顔を出していたのを近くで見上げていたから、その面影が重なっているかもしれない。


そばがき
味付けといって醤油をつけるだけのものだったから、こどもには正直あまりおもしろいものではなかった。
味だの喉越しだの判るわけもなく。


ふと、ところで慶長年間の源次郎さんたちは、そばがきにしろそば切りにしろ、味付けはどうしていたんだろうと思った。

当時たぶん味噌は自家製で作っていたことだろう。
その上澄み(たまり)を汲み上げるか、味噌を搾るかして、たまり醤油は手に入った。
江戸中期までの主流はこのたまり醤油だったそうな。

味噌だれ、醤油だれが作れたわけだ。

そば湯にちょこっといれたらいけそうだ。


私のそば神話
ヤマゴボウの葉をつなぎに使った手打ちそばの、そば湯のえもいわれぬ濃厚な甘さ。
わすれがたし。

父親が健在なころ、昔の赴任地だった長野県山内町の知り合いの民家へ連れて行かれ、食堂になっている座敷にあがって、手打ちそばを振舞ってもらった。
ゴボウの葉をつなぎに使っていると説明されても、ありがたみのわからない若いころで、ちょっと透き通っているぐらいの感想しかもたなかった。
で、そば湯が出て飛び上がるほどびっくりした。甘い。
甘い!  砂糖とは別次元の、これはいったいなんというかこの甘さ。
あれは、、、私のそば神話その壱です。
評判だという蕎麦屋に連れて行かれてもそば湯が供されるとフーンと冷める人間が、ここで出来た。


甘味
味醂は一説に、中国から密淋(ミイリン)という甘い酒が、戦国時代ごろ伝来したといわれるが、高級品だったということで、九度山の真田家の台所にはまずなかっただろう。

『本朝食鑑』元禄8年(1695年)に焼酎を用いた本みりんの製法が記載されている。

それに先駆けて創意工夫の源次郎父さんが焼酎を使っての味醂作りを研究していたなんてことなら面白いが、幸村公は焼酎好きと伝わるので、途中でみんな飲んじまって完成をみることはなかった、とここでは結論しておこう。


昭和の信州の田舎のウチの台所にも、味醂はなかったけどね。


赤椀に龍も出そうなそば湯かな   一茶


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posted by そら猫@あやまろ工房 at 20:15| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする