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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2015年11月09日

午後のうどんで勉強

お昼は五島うどんを食べた。
手延べで引っ張るから断面が丸い麺で、口当たりがやさしく、コシにはこだわりなしというか無くてかまわない「やわらか派」だから時間長めに茹でたが、「本体がしっかりしてますからね。崩れませんヨ」といったふうな余裕で程好い歯ごたえになり、あごだしスープと好く合って、おいしゅうございました。口福という感じで麺の後味が心地よく残っている。



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ゴチソウサマデシタ

つゆの最後の一滴まで飲み干すと
六匹のメダカが出てくるどんぶりでいただいた
楽しいネ 



飛び魚が跳ねている絵の付いた「五島手延べうどん あごだしスープ」をスーパーで見つけ、あごだしってどんなもんだろう?と何となく買って、麺はあとからとりよせたものだ。お試しにというつもりだったから少量でも、ネコポスってメール便で届けてくれるお店があってありがたい。
ん〜、同じあごだしスープとはいえ微妙に違いがあって、麺に付いてきたスープよりはこちらが好みに合う。所詮はそれぞれの好みだものね。

手作り関西風うどんつゆにはまって、折りよく頂き物でおいしい乾麺のうどんが手に入り、蕎麦とはちょっと疎遠になっているほどだ。
あなどるなかれ信州産のうどんだった。普段選んでいる蕎麦と同メーカーだったから驚いた。
でも長野県って小麦粉消費量は日本トップクラスなんだね。
粉もの。あー、おやきとか、おやきとか、おや・・・?
 野沢菜のおやきのようなクレープが絶品です!  ってそれは白馬村のフランスのコミカド先生のセリフだからね。そんなクレープはない、はずだけど誰か作ってみたりしちゃってたりして

おやきはね、今じゃいろんなお店が扱ってるけど、結局小さい頃食べたじぶん家のが一番だなという結論だ。
まぁ諏訪SAの売店のは比較的おいしいと思った。

うどん用小麦粉消費量日本一は、香川県。(^0^)だよねー
讃岐うどんに合った品種改良をしたオーストラリア産を使っているとか。

北海道産小麦粉使用と謳っている某大メーカーの玉うどんが、味も素っ気もなくて驚いた。どうすればおいしく食べられるものか考えるから猶予を下さい、と冷凍庫に放りこんである。
んん〜、パンは北海道産の小麦粉がおいしく焼けるんだけど、パンとうどんは違うのか。
これから研究してみよう。


☆そうだ!!
五島うどんで30年間の勘違いが訂正された件

うどんは長崎県の五島からはるばるやってきたからね。
五島列島。

昔上海へフェリーで向かったとき、「今五島列島沖を通過しています」なんてアナウンスに「あー遣唐使のあとをたどるのだぁ〜」と感慨に浸ったものだ。初海外旅行だったもので。

思い出して、当時のノートを実に久しぶりに引っ張り出してみた。

1986年9月9日12時20分神戸港出港。

9月10日朝7時のメモ
北緯31゜
東経130゜24′
     ↖記憶さだかでない

左手に島影が見える五島列島?



緯度経度が書いてあったので日本地図を出してきて「うどん〜のォふるさとは〜」とながめたら、なんか、違う。
北緯31゜は九州本土南端の鹿児島県佐多岬だって…? 
地図上の北緯東経の数字をたどって謎に迫る、ちょっとJOKERの伊達さん気分よ 

北緯31゜ 東経130゜24′
えっと、大隅海峡を抜けて進行方向右手に佐多岬、すると左手に見える島は種子島屋久島などなど。

なんと鉄砲伝来、世界に誇るロケット発射基地、縄文杉のほうをとっとこ航海して行ったのかい? え!?

五島列島沖航行中のアナウンス、聞いた…はず。
いったい… 五島列島の名前どこからでてきた?
しっかり北緯東経の数字をメモしていたということは、こちらこそ船内放送があったという証だ。

間違った記憶をこれ大切と抱えてこれまで生きてきたのか!
脳が記憶の捏造をしたのか。いったいどこを漂って行ったのか。
ショックで頭の中が大混乱した。

 記憶にたよる証言の当てにならないことかくの如し


整理した結論

フェリーの航路から
・五島列島を左に遠望するには、瀬戸内海を通り関門海峡を抜け対馬海峡を進んで上海へ向かうことになる。その航路をとるのは大阪港発である。

・神戸港出港のフェリーは南下し紀伊水道を抜け、四国を右手に西南に向きを変え、大隅海峡を通り東シナ海へ出て上海へ向かう。

私は神戸から船に乗った。
そして
出港した日の午後の記録から〜

 海見ていて飽きない。
 潮目で色が変わる。
 波打ったり、つやつやと平らになったり。
 茶色になったり、ペイニーズ・グレー、
 灰色、銀紙を広げたように白く、黒く。
 陽光を受けた水平線は白く光る。

というわけで、この船旅では五島列島を見ていないことが判明。
九州本土南の大隅諸島、鉄砲伝来のほうの島影をポーッと見ていたのだ。

何故ならば、瀬戸内の航路を行ったのなら出港日の午後に、水平線は見えない


いまにしてわかったこと。
あの時見ていたのは太平洋だったのか… 
そうだよねぇ、なあんも視界の邪魔をするものがなかったもんね。
その昔屋久島には鑑真さんや吉備真備も立ち寄ったというか漂着したというし。遣唐使の足跡ってあちこちにあるのね。
そういえばフェリーの名は「鑑真号」だった。
マイルドセブン¥220の時代のこと。
今は「新鑑真号」になっている。

北緯31゜を、水陸かまわず西進すると、ニューデリー、カイロへも行ける。そのままどんどん行くとニューオーリンズだって。
地球を輪切りにすると面白いね。

午後のうどんでいろいろ勉強、でした。

教訓:記憶はあてにならない
 すごいショックなんだな、これが





posted by そら猫@あやまろ工房 at 02:59| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする