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 あやまろ工房

『絵のない日記』〜そら猫通信

しのぶべき人もなき身はある時にあはれあはれと言いやおかまし  和泉式部

2015年02月08日

寺田寅彦を読む

寺田寅彦。物理学者。夏目漱石の「吾輩は猫である」に登場する寒月君のモデルだそうだ。

随筆「子猫」には身近の猫たちがさまざまに描かれていて、読むたび目線のやさしさに包みこまれるので、こころが穏やかになる。

 家で育てたり生まれたりした子猫たちを里子に出した後の、それぞれの子に思いをはせるくだりを読むと、猫というこの小さな生き物を通して、私もまた一緒になって運命というものを考える。そして物哀しさで胸がいっぱいになる。


「子猫」はこんなふうに終わる。

 私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時に私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり子猫でもかわいがって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れはばかりあるいは憎むよりほかはないかもしれない。
(大正十二年一月、女性)




「青空文庫」には随筆が結構な数収録されている。折りに触れては猫ものはもちろん、他のものも読んで、なるほどと啓蒙されることが多い。科学者の明晰な目と文章が心地よい。

「喫煙四十年」なんて、現在のヒステリックな嫌煙風潮を、なんというご時勢になったもんだくだらない、と嫌悪する私には愉快痛快きわまりない。

随筆集「柿の種」には自筆スケッチがあり、もちろん猫ものも見ることが出来る。

寺田寅彦自身が作詞作曲した『三毛の墓』という曲の楽譜が載っていたので、楽譜再生ソフトで再現してみた。
  三毛の墓 寺田寅彦.mid


mike no haka onpu.PNG


作曲者の演奏指示は
Andante Tranquillo  歩く速さで 静かに
quasi recit.......  recitante あるいは recitandoの略か?
ほとんど語るように、、、ということでいいのだろうか


三毛の墓

三毛(みけ)のお墓に花が散る
こんこんこごめの花が散る
小窓に鳥影小鳥影
「小鳥の夢でも見ているか」

三毛のお墓に雪がふる
こんこん小窓に雪がふる
炬燵蒲団(こたつぶとん)の紅(くれない)も
「三毛がいないでさびしいな」
(昭和三年二月、渋柿)


「子猫」に出てきた三毛のことだろうか。

なんという優しさ。
こころをこういう形にあらわせる。人間ていいな、と素直に思う。


寺田寅彦は、物理学をやりたい者はまずギリシャ神話を読め、とどれかの随筆に書いているそうだ。
それは、物理学の根本のイメージはギリシャ神話にある、ということではないかとは河合隼雄氏の解説である。

どういうことなのか? 哀しきかな物理学音痴、わからない。
これは、どんな文脈でどの随筆中にでてくるのか自分で確かめるしかない、読書再開。

「柿の種」の自序にこうある。

この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。
(昭和八年六月、『柿の種』)



※  ※  ※

子供の頃は足指によくしもやけができる体質で、冬になるとさんざん悩まされた。
父が「島崎藤村が『しもやけは痒い』って、なにかの作品に書いていたなあ」と言ったので、共感を探し出すべく家にあった子供向けの藤村作品をいくつか読んでみたが、しもやけのことを書いた文章はみつからなかった。そして、それ以上は藤村作品に興味を持つことなく、この探索は未完のままである。



三銃士.jpg

ねこ三銃士


右端はなんだ?



sanyada.jpg

さにゃだ幸村ですよ





posted by そら猫@あやまろ工房 at 00:46| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする